「よく頑張ったね」
試合の後、いつもそう言っておれの頭を優しく撫でてくれた。
最初はそれが嬉しくて、試合に勝とうと躍起になった。でも、それも、だんだんウザったくなってきて。
だから…
「触るな!」
頭に置かれたその手を振り払って。優しい声に耳を塞いだ。
そうだ。これはおれが自分で望んだ事。
なのに。
「……裕太……。」
淋しそうにおれの名を呼んだ。あの声が忘れられない。
「よく頑張ったね」
懐かしい声がして、おれは辺りを見回した。
フェンスを隔てた向こう側。優しい笑みを浮かべている兄貴がいた。その相手は、青学のレギュラージャージに身を包んだチビ。
「別にこれくらいどーってことないっすよ」
そいつは、口では素っ気ない態度をとりながらも、満更でもない様子で兄貴からの祝福を受けていた。
「ふふ。強がっちゃって。可愛いね、リョーマは」
「…子供扱いしないで下さいよ」
「子供でしょ?」
「周助だって」
リョーマと呼ばれたチビは、兄貴の事を名前で呼ぶと、その腕に絡みついた。
……何なんだよ、一体。
親密そうな二人。どう見たって先輩と後輩にしか見えないけれど。ということは、あれは青学の二年か?いや、違う。多分、あれが噂の一年レギュラー。
って、何やってんだ、おれは。
いつの間にか隠れるようにして兄貴たちの様子を窺っている自分に気づき、おれは苦笑した。
もう兄貴とおれは何の関係もないんだ。何を気にする必要がある?
馬鹿馬鹿しい。コートに戻ろう。そろそろおれの試合が始まる時間だ。
溜息を吐き、踵を返す。その瞬間、おれの目の端に映ったものは信じられない光景。
兄貴とあのチビのキス。
「…ばっ、誰かに見られたらどーするんスか!?」
「大丈夫だよ。みんな試合に夢中だから」
チビが行為そのものではなく、場所についてのことで抗議の声を上げる。そのことが、おれに兄貴とチビとの関係を容易に想像させた。そして、きっとおれの想像は間違いじゃない。
「ここにも。早く傷が治るように」
二人で背を向けたまま動けないでいるおれの耳に、嫌になるほど優しい兄貴の声が聞こえてくる。
なんだか、胸の辺りがチクチクする。何で?兄貴の恋人が男だから?
違う。そんなことは問題じゃない。だっておれと兄貴は何の関係もないはず。兄貴がどこで何をしていようと、おれには関係ない。
……じゃあ、なんで?
こうしている間にも、親しげな二人の会話が逐一耳に入ってくる。
「くそっ」
おれは地面を蹴飛ばし耳を塞ぐと、コートの方へと駆け出して行った。
『よく頑張ったね』
あの光景が焼きついて。頭から離れない。
大好きだったあの声を思い出そうとすると、あの時の声が蘇ってくる。リョーマとかいうチビへ向けての優しい声。
そんな事はどうでもよかった筈、なのに。
兄貴の声の行く先が、いつの間にかおれじゃなくなっていたって事に酷く落ち込んでる自分がいる。それに気づいた時、おれの今までのモヤモヤした気持ちとあの時の胸の痛みに答えが出た。
おれはずっと兄貴が好きだったって事。
だから、あくまで弟としか見てくれなかった兄貴に腹が立ったんだ。あの時の兄貴の声は、『不二周助』としてのものではなく『兄貴』としてのそれだったから。
「馬鹿だな、おれ」
兄貴の手を振り払って耳を塞いだのは自分なのに。今更、だ。
でも。
「あのチビに勝てば、おれはあの時みたいに褒めて貰えるのかな?」
観月さんの持ってきた青学のオーダーを見たときには驚いたけど。
「越前リョーマ、か」
おれから兄貴を奪った一年。おれの望みをいとも容易く手に入れてしまった男。まさかこんな形で対峙する事になるとは思わなかった。
あいつを倒して、兄貴を取り戻す。
例え、弟としてしか見られなくてもいい。あの声をもう一度手に入れるんだ。