「エージっ、なに食べてるの?」
放課後。
不二は前の空席に後ろ向きに座ると、頬杖をついて俺を見つめた。
「んー。ムースポッキー」
口の中にそれが入っていた俺は、言葉少なげに答える。モノ食べながら喋っちゃいけないのは、これ、ジョーシキ。
「いいな。」
「駄目っ。あげないよん」
机の上においてある箱に伸ばされた手を軽く叩くと、俺は箱を不二からできるだけ遠ざけた。
悔しがる不二に、溜息を吐く。
「不二ってさ、」
「ん?」
「食細いくせに、俺の食ってるモンいっつも欲しがるよね」
「そう?」
「そーだよ。」
「ん。だってサ、英二が食べてると何でも美味しそうに見えてくるんだよね」
「なんだよそれー」
「だから、サ。一本ちょーだい」
「駄目っ」
これは俺の小遣いで買ったもんだかんね。ナケナシの。
兄弟が多いと、小遣いも当然少ない。…早くバイトできる年齢になりたいっつうの。
「しょうがないなぁ」
溜息まじりに言うと、不二はなにやら自分の鞄をあさりだした。
取り出したのは、一冊のノート。
「にゃに、これ?」
問いかける俺に、不二は意地悪な笑みを浮かべた。
「ん。これはね、今日、英二が寝てた古典の授業のノート」
「貸してっ!」
「だーめっ」
伸ばした手を、不二に叩かれる。俺がさっきやったように、不二はそのノートをできる限り俺から遠ざけた。
「うー。」
「唸っても駄目」
「……じゃあ、どーすれば貸してくれんの?」
「ん?だから、サ。交換条件。それ、僕にちょーだい」
そう言って不二が指差したのは、俺が持ってるポッキーの箱。
してやられた。
「……ヤダ。」
「そー言えば、明日、小テストやるって言ってたなぁ」
「えっ!?マジ?」
「うん。言ってたよ」
「…………。」
「でも、英二はこのノート、要らないんだよね?」
「…………。」
「確か、大石のクラスの古典の授業は、うちのクラスよりも進みが遅いんだよね。というか、うちのクラスが一番進みが速いのかな」
「………ぅ。」
「じゃ。僕は部活に行こっかな。手塚も待ってることだし」
「だーっ、もう、わかったよ。あげるから。ね、不二。だから、そのノート貸してっ!」
立ち上がろうとする不二の腕を掴むと、俺は箱を差し出しながら言った。
「じゃ。遠慮なく。」
俺にノートを渡すと、不二は箱からポッキー一本じゃなく、一袋取り上げた。
「あーっ、不二、酷い!一本って言ったのにぃ」
「僕の素晴らしきノートとこれ一本じゃつりあわないよ。本当なら、マックでも奢ってもらいたい所だけどネ。今まで何回、ノート貸したと思ってるの?」
「………うー。」
「唸っても、駄目」
クスリと微笑うと、不二は袋を開けて美味しそうにポッキーを食べ始めた。
「俺のポッキー」
「もう僕のだよ」
「意地悪」
「まぁね」
認めちゃってるよ、オイ。
俺はわざとらしい大きな溜息をつくと、ノートを開き写し始めた。
静かな教室に響くのは、俺の鉛筆の音と不二のポッキーを食べる音。それに、開け放たれた窓から聴こえてくる運動部の声……?
「あ。…おーいし」
部活。無断でサボっちゃった。大石、怒ってるかな…?
「大石、ねぇ」
思わず出してしまった名前に、不二はクスクスと微笑った。
「なんだよ」
わざとらしく頬を膨らませてみせる。
「ん?いや…本当に大石のこと好きなんだなって思って、ネ」
不二の言葉に、一瞬にして自分の顔が真っ赤になったのがわかった。
「い、いーじゃん。」
「別に、駄目だなんて言ってないよ」
「不二だって手塚のこと好きなんだろ?いーのかよ、手塚ほったらかしにしといて」
「だから、駄目なんて言ってないって。それに、手塚はね、少しくらい放っておいたほうがいいの。少しくらい心配させないとネ」
「……悪魔。」
「誉め言葉として受け取っとくよ」
ちぇっ。
不二には言葉で勝てないから、仕方がない。
俺は視線をノートに戻すと、再び移し始めた。
また、教室が静かになる。と、思ったのに。
「英二。」
「何?」
「これ、最後の一本」
目の前に出されたのは、元は俺のモノだったムースポッキー。思わず、飛びつく。
「ちょーだいっ!」
「どーしよっかなぁ。」
「がう」
簡単にかわされて、俺は思いっきり歯を噛み合せてしまった。くそぅ。不二の、バカ。
「そう言えば、サ」
痛みに顎を抑えていると、不二が言った。
「英二、キスの練習した言っていってたよね」
「へ?」
「はい、目ぇ瞑って。あーん」
わけがわからないまま、俺は不二に促されて目を瞑って口を開けた。
キスされるのかと思ったけど、口の中に入ってきたのは、甘い味。
かなりの安心とちょっとの残念と一緒に、眼をあける。
「!?」
目の前にあったのは、不二の顔。不二はポッキーの反対側を口にくわえていた。
硬直している俺を余所に、不二はポッキーをどんどん食べていく。
着実に近づいていく距離。そして…
「っ……ん。」
重ねられた唇。
「不二っ、にゃにすんだよ!」
叫ぶと、俺は急いで唇を拭いた。それを見て不二は愉しそうに微笑っている。
「どう?キスの味は?」
「…………。」
「ん?」
「………甘かった」
ポッキー食ってたんだから、当たり前だけど。
「そ。良かった」
何が、良かった、んだか。
「じゃ、も一回しようか」
「へ?」
「だって、今のじゃ練習とはいえないよ」
「……じゃあ、なんでしたんだよ」
「何となく」
クスリと微笑うと、不二はもう一度顔を近づけてきた。今度は、触れるだけじゃないキスをする。
「………ん、ぁ。」
頭ん中が真っ白になりそうな所で、唐突に唇が離された。大きく深呼吸をする。
「こんなもんで、どう?」
そういう風に改めて訊かれると、何か凄く恥ずかしい。俺は俯いて、小さく頷いた。
「うん。」
「そ。良かった。」
不二は立ち上がると、大きく伸びをした。
「じゃあ、僕はそろそろ部活にいこうかな。手塚も迎えに来たことだし」
「にゃ?」
不二の言葉に驚いて顔を上げると、そこには硬直している手塚がいた。
「て、手塚…。」
俺の焦りを無視して、不二は手塚の傍まで行くと、つま先立ちになって触れるだけのキスをした。
「手塚。お迎え、ありがと」
意識を取り戻した手塚に、不二が愉しそうに微笑う。
「……不二、さっきのは…。」
「ん?ああ。英二がサ、キスの練習がしたいってせがむから」
「ちょっ、不二!」
不二の方から勝手にキスしてきたんだ、って弁解しようとしたけれど、時すでに遅し。
手塚は今までのとは比べものにならないくらいの怖い顔で、俺を睨みつけていた。
「手塚、だから、そのっ…」
「菊丸。後でグラウンド20周だ」
「………ちぇっ」
悔しいけど、部長手塚の命令は絶対。俺は手塚に聴こえるように、舌打ちをしてみた。それを見た不二が、また、微笑う。
「言っておくが、不二。お前もグラウンド20周だ」
「わかってるよ、そんなの。ヤキモチ妬きなんだから」
「おまっ…」
「はいはい。照れない、照れない。さ、部活行くよ」
半ば押し切るようにして話題を切り上げると、不二は手塚の背中を押して教室を出る。
姿が見えなくなる寸前のところで、不図、不二が足を止め振り返った。
「エージ」
「何?」
「歯、当たんないように気を付けないと、駄目だよ」
「なっ…」
不意打ちアッパー。
「菊丸、グラウンド50周に変更だ。」
しかも、ダブルで。
くっそぉ…。
「不二のバカァ!」
俺の声も空しく、不二は意地悪な笑みを残し扉を閉めると、手塚と腕を組んで(想像だけど、多分、当たってる。「おい、くっつくな」って手塚の声が聞こえたし)上機嫌で教室を去っていった。
残されたのは、俺、一人。
「ちっくしょう、不二のやつ。」
すっげぇムカつく。聞いてたら怖いから口には出さないけど。
「ぜぇったい、仕返ししてやっかんにゃ」
口じゃ勝てないし、策略なんて絶対無理。こうなったら……手塚を使うしかない!
………ただ、その後が問題だ。手塚を使われて、不二が黙ってるとは思えないし。
「はぁ」
俺は溜息をつくと、机に伏せった。
「だから、絶対、無理だって。不二に仕返しなんて…」
はぁ。所詮、俺は不二のオモチャってこと?
ま、ノート見せてくれっから、いいけどサ。……多分。本当に?
|