「待てよ、海堂」
その声と共に肩に置かれた手を、思いっきり払った。
「アンタ、しつこいっすよ」
振り返り、睨みつける。
「よかった。やっとこっちを向いてくれたか」
こっちは思いっきり不機嫌なのだが、先輩はおれと目が合うと口元だけで微笑った。
おれの感情なんていつもお構いなし。こっちが幾ら脅しても、この人には全然通用しない。それがいちいち頭にくる。
「何度も言いますが、おれはあんたと一緒にトレーニングする気はないっすから。いい加減、諦めてください」
強い口調で言い放ち、背を向ける。
「それにおれ、あんた苦手。」
ハッキリと、それだけを言うと、おれは足早にその場を立ち去った。
あれだけ強く言ったんだ。
嫌いまでは言ってないけど、それに近いニュアンスで断った。
たぶん、もう。これで先輩も諦めてくれるだろう。
などと、思ったのが甘かった。
「なぁ、海堂。いいだろう?」
次の日も、相変わらず先輩はおれに付きまとってきた。
しかも、今度は時も場所も構わず。
これなら、部活帰りにおれに付きまとってきた昨日までのほうが、まだ全然マシだ。
「うるさいっすよ。だから、おれはその気はねぇっつってんじゃないっすか!」
思わず、声を荒げる。
廊下にいた奴らの空気が一瞬とまり、そのあと、異様な空気を持ってざわめきだした。
何かわかんねぇけど、すっげぇ居づれぇ。
「ち、ちょっと、こっち」
おれは先輩の手を掴むと、半ば走るようにしてその場から離れた。
屋上の扉の前。屋上は鍵がかけられてるから、ここなら誰もこねぇだろう。
ニヤついた顔でおれを見てる先輩の手を、押し戻すようにして放す。
「いい加減にしてください。何度も言うようにおれは――」
「いやぁ。海堂。お前もやっとその気になってくれたか」
のどの奥で笑うと、先輩はおれの方をしっかりと両手で掴んだ。
理由のない寒気が、おれを襲う。それを知られたくなくて、おれは強く先輩を睨んだ。
「だから、おれはアンタとっ……んっ」
何が、起こったのか。一瞬わかんなかった。気が付くと、先輩の顔が目の前にあった。
「好きだよ、海堂」
おれを抱きしめて、耳元で甘く囁く。
状況が把握できない。おれはさっき、何をされた?今、何をされてる?
記憶が、コマ送りで再生される。
おれの体が先輩に引き寄せられ、先輩の顔が近づいてきて。それから…。
唇に僅かに残る温もり。確かな感触。
「………っ」
「好きだよ。」
追い討ちをかけるような、先輩の言葉。
「うわぁぁぁぁっ。よ、寄るんじゃねぇ、このヘンタイっ!離れろっ!!」
おれは叫ぶと、有りっ丈の力で先輩を突き飛ばした。
その叫び声が五月蝿かったのか、それとも壁に体を打ちつけたからなのか、先輩の顔が一瞬歪んだ。
それでも、また、元のニヤけた顔に戻る。
「何だ、海堂。俺の気持ちを受け入れてくれたんじゃなかったのか?こんな人気のないところに誘い込んでおいて」
じりじりと、追い込むようにして先輩が近づいてくる。思わずじりじりと後退ってしまったおれの背には、冷たいコンクリートがあたった。
「よ、寄るんじゃねぇ、変態野郎っ」
突き飛ばそうとした手を、掴まれる。
ニヤリと微笑う先輩の口元に、言いようのない寒気。
くそぉっ。こんなの、嫌過ぎるっ…。
「だーっ、もう。触んじゃねぇよ、この変態がぁっ!!」
叫び声と共に、おれは思いっきり先輩に突進した。
振り払われるとか逃げられるとかは思ってただろうけど、まさか自分から向かってくるとは思わなかったんだろう。先輩は壁まで吹っ飛んだ。
「いたたたた…」
腰を打ちつけたのか、しきりにさすっている。
外傷を与えてしまったことに、多少の罪悪感。でも、おれが受けた仕打ちより全然マシなはずだ。
「怪我したくなかったら、もう二度とおれに付きまとわないでくださいよ。ヘンタイヌイ先輩」
見下ろす形で言うと、おれは先輩をそのままに急いで階段を下りた。
階段を折れ曲がったところで、溜息を吐く。緊張が解けたせいなのか、汗が一気に噴出してきた。思い出したように、唇を何度も拭う。
と、聞こえてきた、弱々しい声。
「……海堂は追い詰められると突進してくる、と。で、唇の感触は…」
吹っ飛ばされたままの状態でデータノートを広げている先輩がリアルに思い浮かんでしまい、おれはすぐさまその場から駆け出した。
キモい。変態だよ、あのヒト…。