「不二、用事って…?」
 僕がドアを閉めると同時に、彼は僕に訊いてきた。不安げな色が見え隠れしている翡翠の眼。僕は小さく嘲笑うと、彼をベンチへと座らせた。
 窓を開け、新鮮な空気を吸い込む。
「別に、大した用事じゃないよ。君に、言っておきたいことがあってさ」
 振り返ると、彼は生唾を飲み込んだようだった。
 一応、自覚はしてるんだね。自分がイケナイコトをしてるって。
「そんなに構えないでよ。友達なんだから」
 彼に近づき、その肩に手をそっと乗せる。それだけなのに、彼は大きく体を震わせた。その眼には明らかなる恐怖が浮かんでいる。
 僕は小さな溜息を吐くと、彼から手を離した。
「僕はね、大石。感謝してるんだ、君に」
「――え?」
 僕の口から出てきた言葉が意外だったのだろう。彼は間の抜けた声を出して、僕を見つめ返した。
「手塚のこと。彼が無茶をしないようにいつも気遣ってくれてて。恋人の僕なんかよりもずっと彼を大切にしてくれてる。ありがとう」
「あ……いや、別に」
 微笑いかける僕に、彼は少し俯くと、照れたように頭を掻いた。その様子に、笑みが浮かぶ。
「まるで君が手塚の恋人みたいだ。いや、その方がいいのかもしれないな。僕なんかが傍にいるより」
 壁に体を傾け、窓の外を眺める。僕の寂しげな声色に気づいた彼が、慌てて顔を上げた。
「そ、そんな。冗談言うなよ。手塚は男だ。恋人になれるわけないだろ?」
 相変わらず、言葉の選び方が下手だな。
「……僕だって男だよ?」
「…そ、そういう意味じゃなくて、だ。おれは男をそういう目で見れないって言うか…だから、別に否定してるわけじゃなくて…」
 ただはっきりと、手塚を好きにはなれないといえばいいのに。その気が多少在るのかなんなのか。彼は自分の言葉でどんどん自分を追い詰めていく。その姿に、僕は思わず声に出して笑ってしまった。
「ふ、不二?」
「んーん。あまりにも必死だからさ。そんなんじゃ、その気があるって思われても仕方ないなって」
「だっ…」
「解かってるって。その気はないんでしょ?手塚が男だから」
「…………」
 反論はせず、彼は僕の言葉に黙って頷いた。少しは学習したのかな?ま、いいや。
「そっか。大石は男の子は好きにならないんだぁ…」
 意味深に呟くと、僕は大きく伸びをした。打ち合わせ通り、窓の外、遠くに彼の姿が見える。
「じゃ、僕が英二を貰っても文句は言われないわけ、だ」
 彼に視線を向け、クスリと微笑う。
「……え?」
 暫くして、彼はやっとのことで反応した。僕を見つめる。僕は彼の視線を誘導するように窓の外を見つめた。
「君があまりにも手塚を独占するからさ。僕、時間をもてあましちゃって。英二も暇そうだし。だから。ま、暇つぶしには丁度いいかなって」
「なっ…」
「何?不満?だって、大石は男に興味ないんでしょ?」
「……っ。」
 僕の言葉に、怒りが爆発する寸前で彼は動けなくなってしまったようだ。真っ赤になった顔。ただ、目だけが敵意をむき出して僕に向かってくる。それを受け流すように、僕は優しく笑いかけた。
「僕、英二のこと結構好きだしね。英二も僕のこと、好いてるみたいだし」
「なっ…」
「何?もしかして、自分が英二のイチバンだとでも思ってたの?」
「………。」
「だって、君と英二は単なるのダブルスのパートナーでしょ?いつも一緒にいるわけじゃないし。英二はあれでいて淋しがりだからね。忙しい君のことが好きなわけないじゃない。ダブルスでさえ、最近君が手塚に付きっ切りなお陰でろくに練習できてないって言うのにさ」
 言い終わると、僕はまた窓の外を見た。そろそろ切り上げないと、会話が聞こえちゃうかな。
「さて。僕の話はここまで。何か反論は?」
 彼に視線を戻す。彼の目からは既に敵意は消えていた。どうやら、憤りの矛先は自分へと向かったらしい。握られた彼の拳が、白く、小刻みに震えている。そのままだと、血が出てしまうよ。ま、彼が怪我をしてテニスを出来なくなったとしても、代わりはいくらでもいるけど。
「無いみたいだね。あ。そうそう。君に対する感謝の言葉、あれ、全部嘘だから。信じて付け上がったりはしないようにね」 「え?」
「そんなの、当たり前でしょ?……まあ、いいや。僕はもう行くよ。戸締り、忘れないでね」
 クスリと微笑いかけ、ドアノブに手を伸ばす。
「待て」
「……何?」
「英二は…」
「綺麗なまま、手塚も英二も、両方手に入れようなんて甘いよ。どちらかを選ぶか、自分の手を汚すか。それくらいの覚悟がないと…」
 ノブを回し、ドアを開ける。気持ち悪い湿った生温かい風が入り込んでくる。僕は振り返ると、彼に向かって絶対零度の笑みを作った。
「僕がどっちも手に入れちゃうから。なんたって、僕は悪魔だからね」
「あ…」
 彼が何かを言おうと口を開きかけたが、僕はそれが言葉になる前に扉を閉めた。再び脅え始めた奴の言い訳なんか聞きたくないし。それに、これ以上虐めると、可哀相だから。なんて。
 ま、言いたいことは3割程度言ってやったし。これで暫くは、僕も平静を保っていられるだろう。



「ふーじっ!」
「わっ」
 どこかで構えていたのだろうか、校庭を横切っていた僕の背中に、勢いよく英二がのしかかってきた。
「重いよ、英二。体格差、あるんだから。こういうのは桃か大石にやりなよ」
 絡まる腕を解き、英二を地に降ろす。彼はつまらなそうに、ぶー、と呟いた。
「で?で?おーいしの方、どーにゃった?」
「んー?」
「だーかーらーっ。大石が俺んこと本気で好きなのかってこと」
「さぁね。何か、黙っちゃったから。今頃一人で泣いてるんじゃない?」
 自分で言っておきながら、部室の隅で泣いている大石を想像して、僕は思わず吹き出してしまった。
「泣く?何で?」
「だって…。あまりに大石が優柔不断だから。イラついちゃってさ。思わず、虐めちゃった」
 クスリと笑いながら、僕は言った。途端、英二の顔が険しくなる。
「……不二。もしかして大石に酷いこといったの?」
 キツイ口調。本気で怒ってるな。きっと、ポケットの中の手は硬く握られているだろう。
「ふふふ。慰めに行ってあげれば?今ならそれで落ちるかもよ?」
 わざと感情を逆なでするように言うと英二の肩を軽く叩いた。英二のポケットから、震える拳が現れる。
「……っ、不二のバカっ!」
 英二の叫び声と共に、僕の左頬に微かな痛みが走った。



「……ったく。無茶するな、お前は」
「あー…。手塚だ」
 見上げた空に、彼の影が重なった。遠くで、英二と大石の声が聞こえる。
「英二、部室に行ったみたいだね」
「ああ。……立てるか?」
「うん」
 伸ばされた彼の手を掴み、起き上がる。
「あーあ。クリーニングに出したばっかりなのに」
 制服についた土埃を払い落としながら、僕は苦笑した。彼が隣で溜息を吐く。
「頬は?」
「ん。大丈夫。抜けてはいたんだ。ただ、大袈裟に倒れてみただけ。ま、明日少し腫れるかもしれないけどね。痛みはそんなに無いから」
「お前ならよけられただろう?」
 ぼやきながら、彼はどこかで濡らしてきたらしいタオルを僕に差し出した。
「よけちゃったら、意味ないじゃない」
 それを受け取り、頬に当てる。そうだよ。よけちゃったら、何の意味もない。
「そうまでして、オレと大石を離したかったのか?」
 満足気な口調。きっと、本人は気づいていないだろうけど。
「それは君でしょ?僕は、大好きな英二の恋の手助けをしただけ」
 落ちていたテニスバッグを拾い、肩にかけると、彼の腕に自分のそれを絡ませた。
 開けっ放しの窓から見える、二人。そこには笑顔が見える。どうやら、上手くいったみたいだ。
「何故、オレが?」
「ん?」
「だから、オレが大石と離れたかったって」
 ああ、そのこと。
「だから、さ。いつも僕の傍にいる英二と、自分の傍にいるうざったい大石をどうにかして離したかったんでしょ?」
「オレが、か?」
「違うの?」
「……ノーコメントだ」
 空いている右手で、彼は眼鏡を直した。動揺を悟られないようにするためだろう。可笑しくて。思わず、口元に笑みが浮かんだ。
「でも、自分じゃそんなこと出来ないから、僕がそうするのを待ってた。でしょ?」
「それも、ノーコメントだ」
 それは肯定してるのと一緒だよ。
「ま、いいけどね。君には綺麗でいてもらわないと。手を汚すのは僕だけで充分。というより、僕の役目だ」
「何の話をしているんだ?」
「んー。だから、君を地上へと堕としてもいいのは、僕だけってこと。なんたって、僕は悪魔なんだからね」
 クスリと微笑いながら、指を絡ませる。
「お前以外には捉まるなってことか」
「僕に捉まることを望んでるんでしょう?」
「……さぁな」
 視線を外し、そっけなく答えながらも、彼はしっかりと僕の手を握った。





テーゼの意味が曖昧です。(莫迦でスミマセンです)
大石の扱いがこの頃非道いです。(申し訳ない)
未だに菊丸の身長が不二よりも大きいことに違和を感じております。(ピョンピョン跳ねるんだから小さくあって欲しかった)



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