「……手塚?どうしたの?」
突然、視界を遮る影。
「いや、なんでもない」
オレは首を振ると、不二の額を押し退けた。
「何でも無いって事、ないんじゃない?なんか、ずっと呆っとしてるけど」
額にあるオレの手をとると、不二は心配そうな顔をした。
「ねぇ、手、温かいよ。頬も少し赤いし。ひょっとして、風邪ひいた?熱あるんじゃない?」
「問題ない」
額に手を当てようとする不二の手を払うと、オレは立ち上がった。途端、襲ってくる眩暈。
「危ないっ」
不二に、体を支えられる。
情けない。自分よりも華奢で小さい男に支えられるなんて。
「ほら、やっぱり熱あるよ。とりあえず、部活は大石に任せて、保健室行こ?」
言ってオレをベンチに再び座らせると、不二は大石の元へと走って行ってしまった。
開け放たれた部室のドアからぼんやりと外を見る。コートの中で見るのとはまた違う、部活の風景。奇妙な感じだ。だが、不思議と違和感はない。
暫くして、不二が戻ってきた。
「とりあえず、保健室。んで、どうしても無理っぽかったら、帰ろ。スミレちゃんにも言ってきたからさ」
「……お前はどうするんだ?」
「傍にいるよ。病人を放って置けるほど、冷たい人間じゃないよ、僕は」
クスリと、不二が微笑う。オレは頷くと不二の肩を借り、立ち上がった。
「部活は…」
「これから乾が考えてきてくれたメニューをやるって。僕たちがいない分、少し変更が必要らしいけど、応用利くから平気だってさ」
「……そうか」
どうやら、オレがいなくても部活は進むらしい。その事実が、少し、淋しかった。
誰もいない街角で、オレは来もしないヤツを永遠に待ち続ける。
なんて、悪夢。
「…づか。手塚っ」
「………ん。」
「大丈夫?」
「…ふ、じ?ここは…」
開けてくる視界。飛び込んできた不安げな顔と、見知らぬ天井。体を起こそうとして、自由が利かないことに気づく。
「駄目だよ。まだ寝てて。ここ、保健室だよ」
「保健室…?」
「憶えてないの?保健室に向かう途中に倒れたんだよ。ごめんね、もっと早く気付けばよかった」
溜息混じりに言うと、不二はオレの頬に手を当てた。
「怖い夢でも見た?大分うなされてたみたいだけど」
クスリと笑い、オレの頬を撫でる。
「君が泣くなんて、ね」
そう言った不二の指は、僅かに濡れていた。ああ、オレは泣いていたのか。
「もうちょっと待っててね。姉さんが迎えに来るから」
「……お前の姉が?」
「うん」
見上げるオレに、不二は頷くと立ち上がった。カーテンと窓を開ける。入ってくる陽に思わず眼を細めた。不二の癖の無いその髪が、さらさらと風に揺れる。
「手塚の家、連絡したんだけど誰も居ないみたいでさ」
「あ、ああ。今日は夜にならないと家族は帰ってこないんだ」
「だと思って、うちに連絡しちゃった。とりあえず、病院行かなきゃだしね」
「別に、タクシーを使えば…」
「そのあと、僕の家に来るの。そんな状態じゃ、一人でお昼ご飯食べられないでしょ?」
「だが、それではお前の家のものに迷惑が…」
「いいんだよ。別に。うちの家族、君のこと気に入ってるみたいだから」
含んだような言い方をすると、不二はオレの隣へと戻ってきた。パイプ椅子に腰を下ろす。
「駄目だよ、無茶しちゃ。君は僕には無茶をするなとか言うくせに、自分のことになると無頓着なんだから」
不安げな眼で言う。不二はオレの髪を掻き揚げると、額に唇を落とした。
「やっぱり、熱いね」
困ったように、微笑う。オレは手を伸ばすと、不二の手を握った。いつもとは逆の体温。不二の手が冷たく感じる。そのことに、何故か泣きたくなった。
「……手塚?」
熱の所為だ。熱と、さっきまで見ていた悪夢の所為。
「どこにも、行くな」
温もりを知ってしまった今、もう、独りには戻れない。戻りたくない。あんなモノは、例え夢でも見たくはない。だから。
「……行くな。」
その手をしっかりと握り締め、呟く。
「………行かないよ、何処にも」
不二は眼を細めて微笑うと、オレの手を握り返してきた。
「ずっと、傍にいる。だから、もう少し眠ろ?」
自由な不二の右手が、オレの瞼を閉じさせる。そのことで、温もりが強く伝わってきた。
「……ああ」
頷くと、オレは再び眠りの中に落ちていった。