「……で。手塚の腕は?」
「あ、ああ。これ」
言うと、大石は大きな封筒を僕によこした。中を開けると、日本語と英語で書かれたカルテが入っていた。
「……ふぅん。まだ、完全には治ってないみたいだね」
「ああ。だが、普通に練習する分には問題はないそうだ。無茶をせずこのままの調子で行けば、あと1ヶ月で完治するって」
安堵の溜息をつきながら、大石が言った。
「無茶をせず、ねぇ…」
その顔に苦笑しながら、僕は呟いた。カルテを封筒にしまう。
「じゃあ、手塚の腕は、一生完治しないかもね」
立ち上がり、伸びをする。振り返ると、彼が頭にハテナを浮かべていた。
全く。これだから…。
「手塚本人が無茶だとは思ってなくても、一般人からすれば明らかに無茶なんだよ。とにかく、手塚の練習量は半端じゃないからね。慣れって怖いよね」
馬鹿馬鹿しい。不図、そんな気分になり、僕は嘲笑った。
「不二は、手塚の腕が治らなければいいと思ってるのか?」
僕の嘲笑いが癇に障ったのか、彼は眉を吊り上げると、僕を見上げた。その真っ直ぐな眼差しに、また嘲笑いがこみ上げてくる。
「そんなことを思ってたら、わざわざ君にこんな犯罪めいた真似はさせないよ」
彼の額を小突き、微笑う。彼の眉は下がったが、まだ納得のいかないような顔をしている。
ああ。もしかして、変なこと考えてない?
「別に。僕は手塚に勝とうなんて思ってないよ。それに、あんな状態の彼に勝ったって、嬉しくもなんともないしね。というか、怪我をしてても、手塚は手塚だよ。僕じゃ敵わない」
言うと、大石は安堵の溜息をついた。
それは何に?僕が勝とうとしてないってことに?それとも、勝てないことに?
恋人でもないのに、彼は誰よりも手塚の近くにいる。そして、手塚のことを自分のことのように考えている。それは単なる優しさ?
「……な、なぁ、不二」
「ん?」
「もう、止めにしないか?」
大石は立ち上がると、真っ直ぐな眼で僕を見つめた。
「……何を?」
「こんな…犯罪めいたこと。コソコソと手塚の様子を窺うなんて。そんなに心配なら、本人に直接…」
「何を、言ってるんだい?」
彼の両肩を掴み、無理矢理ベンチに座らせる。認識できるギリギリまで顔を近づけると、僕は彼の眼をじっと見つめた。いや、睨みつけたといった方が正しいか。
「僕が隠れて心配していようと、それは僕の勝手だ。嫌なら勝手に止めればいい。僕一人でもやるさ。如何する?止めるかい?」
答えを促すように、僕は黙った。けれど、彼からの返事はない。逸らしたい視線を逸らせずに、怯えた目で、ただ僕を見ている。
「断る事も出来ない君に、とやかく言われたくはないね。それに…」
手塚が僕に何も言わないのは、僕に心配をかけたくないからで。僕が全てに気づいていることを知ったら、きっと、優しい手塚のことだから僕に変に気を使ってしまうだろう。
「ふ、じ?」
「……それに、そもそも君があのとき止めていたら。こんな事にはならなかったんじゃないのかい?」
「……っ」
僕の言葉に、彼は一瞬、眼を見開いた。僅かだが、肩が震えている。誰よりも責任感の強い彼は、ちょっと背中を押してやるだけで、すぐに自分を追い詰めてしまう。それが快感でもあるから、僕は忌むべき彼を共犯者として選んだ。まあ、手塚の傍にいるというのも理由としてあげられるけど。
「まさか、忘れたわけじゃないだろう?誰の所為で、手塚があんな事になったのか」
彼への罰は、その罪悪感。
「ねぇ。あのときあそこにいた全てのニンゲンに制裁を与えた僕が、何で君には何もしなかったか解かる?」
クスクスと微笑いながら、彼の耳元に囁きかける。
恐怖にか罪悪感にか、彼の感情はよく解からないけど。声を上手く出せない彼は、僅かに首を横に振った。
「君に、最も重い罰を与える為だよ」
囁き、体を離す。彼は怯えた眼で僕を見上げた。
「苦しむといいよ、これからも。手塚にあんな怪我を負わせてしまった罪に。そして、口止めした手塚を裏切った罪に」
ベンチに置いたままの封筒を手に取ると、それを彼の目の前にちらつかせた。
「情報、ありがとね。また一緒に病院に行った時は頼むよ。なんてったって、君は僕の手塚に信頼され、僕よりも近い場所に常にいることが出来るんだからね。……そうそう、くれぐれも手塚に無茶をさせないように頼むよ。同じ過ちを犯さないようにね」
言い放ち、一層怯えた眼をした彼にクスリと嘲笑うと、僕は明かりを消し扉を閉めた。