うちの部の部長さんは熱血で。とばっちりのように副部長になった俺は、いつもいつもその行動に頭を悩まされていた。
けれど。
「不二。久しぶり、だな」
「………佐伯。」
今日ほど、あいつの行動を感謝した日はない。いや、今日があいつの行動に感謝する最初で最後の日だろう。
「やっぱり、キミたちも残ってたんだね」
嬉しそうにいうと、不二はブランコに座った。キィと油の切れた音がする。
静まり返った公園。昔、よく2人で遊んだ場所だ。
「俺は君以外に負けたことはないよ」
呟いて、俺も隣のブランコに座った。そのまま暫く黙って夜空を見上げる。街灯くらいしか明かりがないから、ここは星がよく見える。
「星、綺麗だね」
思い出したように、不二が呟く。その唐突な物言いは、昔と全然変わっていない。とはいえ、2年半くらいしか間はないわけだから、変わっていないのは当然といえば当然なのだが。それでも、変わっていないという事実が、凄く嬉しい。
「ねぇ、佐伯。久しぶりに2人きりで会ったんだし。聴かせてよ。キミの話。この2年ちょっとの話」
俺の方を見て、楽しそうに微笑う。薄暗くても判る、不二の柔らかい笑顔。
「……佐伯?」
「あ、いや。なんでも…」
見惚れてしまっていた自分に、赤面する。俺は一旦視線をはずすと、深呼吸をした。再び、不二に視線を戻す。
「いいぜ。その代わり、不二もこの2年半、何があったか話せよな」
「うん」
不二の話はある男を中心に回っているようだった。時々、嬉しそうにそいつを語り、哀しそうにそいつを語る。名前は手塚国光。確か、青学の現部長。だが、今日はその姿を見ることはなかった。やはり大会中は遊んだりせず、練習に励んでいるのだろうか?
「その、さ。手塚くんっていうの?彼、今日いなかったよね。やっぱり、試合を前にして遊んでられないって?」
不二の話が一通り終わったところで、俺は切り出した。途端、不二の顔が曇る。
「不二?」
「手塚はね。今、いないんだ」
弾みをつけてブランコから降りると、不二は俺の前に回った。腰の高さもない程の策に座る。
「ドイツにいってるの。肩の治療で」
そういって不二が見つめたのは遠い宙。多分、彼の居る所。
「ああ、そういえば。そんな話があったかな」
俺はやっと思い出した。氷帝戦、確か、跡部との試合で青学の部長が肩を壊して治療のために海外へ行っていると。
と、前から、クスクスと笑い声が聴こえてきた。
「佐伯、全然変わってないね。自分が好きなことには夢中になってなかなか忘れないくせに、それ以外はすぐ忘れる。大方、自分たちのその日の試合しか頭の中にないんでしょ?」
「変わってない、か。その言葉、お前にそのままそっくり返すよ。それに、君だってすぐ忘れるだろ?」
多分、告げたはずの俺の想いだって忘れているだろう。
「僕はいいんだよ。タイセツナモノ、1つ在るから」
「大切なもの?」
「うん。今は遠く離れちゃってるけどね」
遠く離れた、大切なもの。大切な、者?それって…。
「もしかして、」
「そ。我らが青学の部長、手塚国光。」
そう言った不二の眼はとても慈愛に満ちていて。そいつが友達だとかそういうものを超えた存在であるということを容易に想像させた。
なんて言ったらいいのか。言葉が、見つからない。
「あはは。気持ち悪いと思うかい?男が、男を好きだなんてさ」
自嘲気味な不二の言葉に、慌てて首を振る。
「そんなことはないさ。俺だって――」
「え?」
「いや。何でもない」
「変なの」
思わず、言ってしまいそうになった。ずっと変わらなかった俺の、不二への想いを。
だが。この様子では、恐らくあの時のことは憶えていないだろう。不二が引っ越す日に言った、あの言葉を。
「僕は待ってるって言ったのにね、手塚はそんな必要はないって言うんだよ。非道いよね。幾ら、短くても半年は会えないって言ったってさ」
淋しそうな顔をして、言う。そんな不二の表情を見た途端、急に、その手塚国光という男が憎らしくなった。不二にこんな顔をさせるなんて。
俺ですら、恐らく、引っ越して離れ離れになった後だって不二はそんな表情はしなかったはずだ。別れる時だって、不二はいつもと全く変わらない態度で。あれだけ。あれだけ毎日一緒に居たのに…。
「淋しいよね」
誰に言うわけでもなく、ぽつりと呟く。もどかしい。俺だったら不二にこんな思いはさせないのに。
心の奥底にしまったはずの想いが、もう喉までせりあがってきているのに気づく。それも、あの頃よりも遥かに強い想いとなって。
あの時は友達と言う意味で不二にはとられてしまったが。今なら、本当の意味で解ってもらえそうな気がする。今なら、言えるかもしれない。いいや、今しかないのかもしれない。
「なんて、こんなこと佐伯に言っても仕方がないよね。ごめんね、なんか変な話しちゃって」
不二は俺を見ると、苦笑した。立ち上がって、大きく伸びをする。
「不二。」
俺も立ち上がる。一度だけ、深呼吸をした。
「ん?」
部活でも味わえないくらいの緊張が、俺を襲う。だが。今しかない、と自分に言い聞かせた。そうだ。今しか、ない。
「あの時のこと、きっと君は忘れているだろうから、もう一度言うよ。友達とかそういう意味じゃなく、俺は、不二。今でもずっと、君のことが――」
「憶えてるよ」
「え?」
「キミの言った言葉も、そのホントの意味も。ちゃんと解ってたし、今でも憶えてる」
憶えてる?どうでもいいことはすぐに忘れてしまう不二が、俺の告白を憶えている。…それは、どういう意味なんだ?
「嬉しかったんだ。キミに好きだって言われて。だから、ちゃんと憶えてるよ。僕も、キミが好きだったから」
不二の口から出てきた思いがけない言葉に、俺は一瞬言葉を失った。不二も好きだった?俺のことが?
「だったら、何故あの時…」
「うん。でもね。あの言葉は友達と言う意味だって思おうとしたんだ。だって、僕たちは男同士だし…」
「だが、君は手塚くんと恋人同士なのだろう?」
だとしたら、そんなことは何の理由にもならない。
「うん。そうなんだけど…。なんていうかな、あの頃は僕たちまだ幼かったからさ、男同士で好きになるって言うのが凄く不自然なことだと思ったんだ。毎日一緒にいすぎたせいで錯覚を起こしたんじゃないのかっていう思いもあったしね。それに、もしOKしたとしても、すぐに離れ離れになるんじゃ淋しすぎるでしょ?だったら、そのまま友達でいようって思ったんだ。それに、なんか佐伯、言い逃げするみたいだったしね」
言い逃げ。確かに、そうだったかもしれない。別れ際に言うなんて、卑怯だ。フラれたら俺はそのまま逃げるつもりだったし。というよりも、フラれることが前提だったから不二が引越しをするその日に告白をした。OKを貰った後のことなんて、あの時の俺は全然考えていなかった。
「じゃあ…もし俺が、もっと早く言っていたら」
「もしも、なんて存在しないよ。過ぎた時間は今更何を言っても戻らないんだから」
それも、そうだが。
「だったら、今はどうなんだ?」
「え?」
「不二は、今は俺のことどう思ってる?」
「どうって言われても…」
突然の俺の質問に、不二は困惑しているようだった。腕を組み、眼を瞑っている。
なんて無防備な姿なんだろう。などと、一瞬でも考えてしまう自分が嫌だ。
「好きとか嫌いとかどうでもいいとか、色々あるだろ?」
早くその姿を止めて欲しくて、俺は言葉を付け足した。ああ、と不二が頷く。
「好きだよ。佐伯のこと」
柔らかい笑みを俺に向けると、不二は言った。錯覚を起こしそうになる。不二は俺のことを愛しているのだ、と。だが、実際はそうではない、はずだ。
「それは、友達として、という意味だよな?」
「んー。わかんない。でも、好きだよ。カッコイイと思うし、可愛いとも思う」
まぁ、手塚には敵わないけどね、と付け足す。
それは聴かなかったことにして。
それにしても、わからない、とはいい加減にも程がある。まあ、それが不二らしいって言ったらそうなるのだが。しかし、これで希望は出てきたというわけだ。
もう一度深呼吸をする。
「ならば、手塚くんとはもう終わりにして、俺と付き合わないか?」
不二の両肩を掴み、しっかりと見据える。だけど、不二は視線を俺に合わせず、地面へと向けた。
「駄目だよ。それは」
「今でも俺のこと好きなんだろ?」
「そりゃあ、好きだよ。でも、僕、手塚に待ってるって言っちゃったし」
「だが、手塚くんは君が待ってるとは思っていないんじゃないのか?」
俺の言葉に、一瞬だけ不二の体が強張った。どうやら、図星らしい。
「手塚からね、連絡、全然ないんだ。多分彼は、僕のことを諦めようとしてるんだと思う。僕はどうしたらいいかわからなくって。手塚の重荷にはなりたくないし。でも、だからといって――」
「忘れろよ」
掴んでいる肩を引き寄せ、不二を抱きしめる。
「佐伯?」
力なく腕を下ろしている不二の声は、困惑が見て取れた。
「俺なら、君にそんな淋しい思いはさせない。だから…」
「それでも、駄目だよ」
呟くと、不二は俺の胸に手を当て、体を離した。眼を見据える。
「駄目だよ。僕は手塚を裏切ることは出来ない。裏切らないって決めたんだ。例え、他の誰をも裏切っても。彼が僕を裏切ったとしていても、ね。彼だけは。手塚だけは特別だから」
ふ、と微笑う。その笑顔の意味が解らない。
手塚国光と言う男はそれほどまで不二に影響を与えるような男には思えない。噂だと、テニス以外にはこれと言ったものが何もないと訊いていた。堅物で、テニス一筋だと。それを物語るように、彼は氷帝戦で自分の肩よりも部活の勝利を選んだ。
そんな男の一体どこに不二は魅かれたというのだろう。自分のほうが、不二と馬が合う自信はある。きっと楽しい日々を送れると、約束できる。それを解っていないんだ。不二は。
ああ。だったら、徐々に解らせればいい。ただ、それだけのことだ。
「なぁ、不二。だったら、手塚くんが帰ってくるまでだけでいい。俺と付き合って――」
「だから。僕は手塚を裏切らないって言ってるでしょ?駄目だよ。そんなの。それに、それでキミは満足するの?手塚の代わりってことだよ?」
代わりでも構わないさ、結局それは初めだけなのだから。
だが、駄目だと言った不二の意志は固そうだ。このままじゃ、埒が明かない。何か、別の切り口で…。
「佐伯?」
悩んでいる俺の顔を心配そうに覗き込んでくる。大方、自分が断ったことで俺が傷ついているとでも思っているのだろう。
悪いな、不二。俺は諦めの悪い男なんだ。
「じゃあ、こうしよう」
言うと、俺は不二の前に人差し指をピンと立てた。
「今度の俺たちの試合。もし、俺が勝ったら、手塚くんが帰ってくるまでの間だけでいい、俺と付き合う。君が勝ったら…それはそれで君が何か考えてくれていい」
「駄目だよ。そんな賭けは」
苦笑すると、不二は俺の手を包み、下へとおろした。
普通の奴ならここで諦めるところだけど。俺はずっと不二と一緒に育ってきたんだ。こいつが負けず嫌いな性格を密かに持ち合わせていることを、俺は知っている。
「だったら、試合に負けなければ良いだけの話だろう?それとも、俺たちには勝つ自信はないのか?」
俺の言葉に、一瞬だけ、不二の眼が見開く。かかった。
「どうする?棄権するのか?」
「……解ったよ。その賭け、乗るよ」
溜息混じりに不二が言う。仕方がない、とでも言うように。
「OK。じゃあ、君が勝ったらどうする?」
「………考えておくよ」
ふ、と不敵に笑う。自信の表れ、か?
悪いな、不二。菊丸英二も、キミのトリプルカウンターも対策は既に練ってあるんだ。負ける気は、ないよ。もう2度とね。
あとは手塚国光が帰ってくるまでに、不二を引き寄せてしまえばいいだけだ。難しいことは、何もない。
そのまま俺と不二は小1時間ほど他愛のない話をした。その殆どが小学校の頃の思い出話だった。俺としてはこれからのことを少しくらいは話したかったのだが、不二にはその気がないらしいので仕方がなかった。まあ、それでもそれなりに会話を楽しむことは出来たのだから、文句は言えない。
別れ際。駅まで不二を送った。時間的にも大分遅いので、人はまばらだった。
改札を通った不二が、振り返る。
「佐伯。賭けのことで1つだけ言っておきたいことがあるんだけど」
「……何だ?」
見つめる俺に、好戦的な眼で不敵に笑う。負けないよ、とでも言うつもりなのだろうか?
少しだけ、身構える。
しかし、次の瞬間、不二の口から出てきたのは、俺の予想もしない言葉だった。
「僕、一応、攻め側のニンゲンだから」
「――は?」
「それじゃ、ね。試合、楽しみにしてるよ」
愉しげな笑みだけを残すと、不二は俺に背を向けてさっさとホームへ向かって歩き出した。
『――攻め側のニンゲンだから』
一体、どういう意味なのだろう?今度の試合は、攻撃重視で来るということなのだろうか?それとも、何か別の意味が?
………。
………………。
………なっ!?
「不二っ!」
その言葉の意味に気づき、慌ててその名を呼んだ。だが、もうそこには不二の姿はなかった。
まあ、いい。とりあえずは、試合に勝つことが先決だ。勝たなければ、この賭けもあの不二の言葉も無意味になってしまう。
「悪いが、俺は負ける気はないよ」