26.メタモルフォーゼ(はるみち)
「どうして、脱がなきゃなんないんだよ」
 アトリエ、と呼ばれる部屋に入った僕は、服を脱がそうとしてくる彼女の手を捕まえてぼやいた。
「あら。恥ずかしい?女の子同士なのに」
「まさか、ヌードを描くつもりじゃないだろ?」
「ええ」
「だったらっ。……別に、いいじゃないか」
 彼女の手を払い、部屋の隅に置かれていた木製の椅子に乱暴に座った。乾いた軋みに、何故か緊張する。
 そう。僕は今、ガラにも無く緊張してるんだ。この少女を前にして。
 女同士といえば確かにそうだけど。だからって裸になることが恥ずかしくない理由にはならないし。それに。彼女は僕に友情ではない感情を抱いている。それは、自惚れなんかじゃないはずだ。
 そしてそれは、僕も同じで。
「ポーズは君の言う通りにするよ。だから。服はこのままでいいだろ?」
「でもそれじゃ、体のラインが分からないわ」
「……君は。何を描こうとしてるんだ?」
 僕はてっきり、顔をメインとして描くものだと思っていたのだけど。違うのだろうか。体のラインってことは、全身、か?
 絵を描く、という行為を僕はしない。美術の授業でやるくらいだ。それは酷く退屈な行為だと僕は思っている。何時間も同じ姿勢でカンバスに向かってひたすらに筆を走らせるなんて。見るものといえば、そのカンバスか描く対象。それだけ。僕には、理解不能だ。
「最初は風のように走っている貴女の姿を描こうと思っていたわ。でも、今は別の貴女を描きたいの」
「……別の?」
「そう。貴女がロッドを手にして。初めて変身した時に私が見た姿。それを描きたいの」
「どういうことだい?僕に変身しろって?」
「あなたが変身する必要は無いわ。それに、今日はラフを書くから」
「裸婦?」
「ラフ、よ」
「……?」
 彼女の言っている言葉が理解できない。それは描こうと思っているものが想像できないこともあるけど、ラフという単語の意味が分からないことにも理由があった。
 まぁ、なんだっていいか。
 彼女が何を描き出そうとしているのか。それを僕が考えたって仕方がない。出来上がりを見ればいいだけの話なんだし。
 とりあえず、服さえ脱がなければ。それで。
「ねぇ、天王さん。……脱いで?」
 スケッチブックを広げ、絵の具で汚れた椅子に座った彼女は、僕を見てはそう言った。軽く首を傾げているそのあどけなさが、言葉の内容と一致しない。いや、それじゃないな。僕が違和感を覚えてるのは。
「……その。天王さんっていうの、やめてくれないかな?なんか、他人みたいで」
「あら。私たち、まだ他人じゃなくて?」
 まだ?
 彼女の言葉の意味を深読みして、思わず顔が赤くなる。
 咳払いでなんとか誤魔化してはみたけれど、僕を見つめる彼女の目は楽しそうに細くなっていた。
 全く。海王みちるという人はよく分からない。年相応の少女かと思えば、そんな表情もするだなんて。だからこそ、惹かれてしまうのかもしれないけど。
「ねぇ。だったら何て呼んだらいいのかしら?」
「はるかでいいよ。後ろには何もつけなくていい。僕のフリークの子達ははるかさんなんて呼ぶけど。君はもう、違うから」
「あら。私は今でも貴女のフリークよ。他の子達よりは少し貴女に近いところにいるけれど」
「僕がそう呼んで欲しいんだよ。君に」
「……じゃあ、貴女も。私のこと、そろそろ名前で呼んでもらえないかしら?私の記憶違いじゃなければ、まだ一度も名前を呼ばれたことないわ」
「そう、だったかな?」
 彼女に言われて、僕は記憶を呼び返してみた。
 確かに。言われてみれば、そうだ。僕は彼女の名前を、苗字ででさえ呼んだことがない。
 どうしてだろうなんて考える必要もなかった。僕は少し前まで、彼女と深く関わることを避けていた。だから。
「みちる。……って、呼んでいいのかな?」
「嬉しい。名前、覚えていてくれたのね」
 また目を細めて、けれど今度は皮肉った口調で言う彼女に、僕は溜息を吐いた。
「名を、呼ばなかったことは謝るよ。……みちる」
 言われっぱなしなのも癪だから、最後は真顔で名前を呼んだ。
 狙い通り、彼女は息を詰めて、どうやら赤面したようだった。
 かわいいな。そう思ったのも束の間、彼女は一つ息を吐くと、あっさりと平静を取り戻してしまった。
「ねぇ、はるか。……脱いで?」
 呼び方が変わっただけなのに。彼女の声は僕の体の中で嫌というほどに響いて。思わず頷いてしまいそうになるのを、僕は慌てて首を横に振った。
「それは却下」
「いいじゃない。……それとも、私も脱いだ方がいいのかしら?」
「何で君が脱ぐんだよ」
「はるかだけが脱ぐんじゃ、不公平でしょう?」
「……それは、なんか、違う気がするけど。分かった。脱ぐよ。こんなんじゃ、いつまで経っても先に進めない。だから君はそのままでいいから」
 最後だけ、少し強めの口調になってしまったけど。それは仕方が無かった。彼女は、自分のブラウスのボタンを既に三つほど開けてしまっていた。
「ありがと、はるか」
 立ち上がる僕に、彼女はそう言うとすぐにボタンをかけ直した。その素早さに謀られた気がしなくもなかったが、もう言ってしまったことだしと、僕は観念してシャツのボタンに手をかけた。
(2009/9/9)
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