55.人生楽あれば苦あり(蔵黄泉)
 今までの俺の人生は楽だったのか。これはそのツケなのか。それとも、今の状態が倖せの最高潮なのか。
「蔵馬」
 感じる気配。今日も人間界から蔵馬が帰ってきた。
 帰ってきた。その表現を使うと奴は必ず不満そうな表情をする。不満そうな。
 昔はいつも不満そうだった。完璧主義者の癖に、そう簡単に満足はしない。冷たい笑みを浮かべてはいたが、心から笑ったところを見たことがない。生物を殺める時、蔵馬は常に感情を殺していた。
「……用件は?」
 不満そうな声。俺に呼び出されることが嫌なのか、魔界に来ること自体が嫌なのか。出来れば後者であることを望みたいが、恐らくは前者だろう。
 それでも蔵馬は俺に逆らわない。いや、逆らえない。あの頃とは力の関係が入れかわってしまっているから。だが、それでもかわらないものがある。……俺と、蔵馬の気持ちの行先。
「用は無い」
「なら呼び出すな」
「だったら来なければいいだろう?」
「……ふざけたことを」
 蔵馬の前に立ち、その髪に触れる。癖のある毛先は梳くと指先に僅かに絡みつく。
 こいつは本当に蔵馬なのだろうか。
 触れているといつも疑問に思う。その気配や会話の内容は確かに蔵馬なのだが、声や感触の違いに俺は戸惑う。蔵馬はそれを猿芝居だと言ったが。
 気付いていて惚けたんだろう?
「用が無いならオレは帰る。呼び出しには応じた。それで満足だろ?」
 満足?まさか。
 だが俺はすり抜けていく髪をあえて逃がした。捕まえれば恐らく、蔵馬は抵抗などしないだろう。それは死を意味する。
 殺せない、わけではない。恐らく蔵馬が本気で俺を拒めば、俺は容易く蔵馬を殺すだろう。それは冷酷とは逆の感情で。
 今も、その後姿を切り捨てたい衝動を抑えるのに必死だ。
「……次はいつだ?」
「何?」
「オレは、いつ来ればいい?……急に呼び出されるよりはマシだ」
 振り返らないまま振り返る蔵馬に、俺はまた戸惑う。
 こいつは本当に蔵馬なのか。
 俺が望んでいることは、俺が抱く蔵馬のイメージとは違う。だから叶うことは無いと思っている。しかし。再会した蔵馬は、もしかしたらという期待と恐怖を思わせる。
 望みからすれば今の状態は楽であり、憧憬からすれば苦。過去はその逆。
「……来たい時に来ればいい。俺は会いたい時にお前を呼び出す」
 俺の言葉に蔵馬が微笑ったのが分かる。それは冷たい笑みではない。再会して知った、不満以外の蔵馬の表情のひとつ。
 何故か、昔よりも今のほうが子ども扱いされている気分になる。相手にされればされるほど、距離が離れているような気持ちに。
「勝手にしろ」
 相変わらず俺に背を向けたまま蔵馬は言うと、部屋を後にした。
 微かな音を立てて自動扉が閉まる。
 好きなときに呼び出せる。この状態は倖せなのか不倖せなのか。乱暴に椅子に座った俺は、けれど少し考えては、それを振り払うようにコンピュータに脳波を接続した。
(2009/9/30)
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