92.馬鹿にするな(蔵コエ)
「馬鹿にするな!」
 肩に触れた手をワシは思い切り払い除けた。高い音を立てて、蔵馬の腕が離れる。瞬間だけ驚いた表情をした蔵馬に少しだけ胸が痛んだが、構わす背を向けた。
 部屋が沈黙に包まれる。
 先程までも決して五月蝿かったわけではない。だが、今は重苦しい空気が漂っているせいで余計に静かに感じる。静か過ぎて、五月蝿いほどだ。
 振り払われた腕を、蔵馬がどうしたのかは知らない。ワシの視界には、蔵馬の姿は入っていないし、これといった音も聞こえてこない。
 気になって、少しだけ視線を動かす。蔵馬は払われた腕を中に浮かせたまま、放心しているように見える。そんなにも、ワシの抵抗は驚くことだったのだろうか。口先だけでしかないと本気で思っていたのか。逆らえないと。
 ……馬鹿にするなっ。
「帰れ。こういった形で二度とワシの前に現れるな。ワシはもう、あの頃とは違う」
「……何も変わったのはあなただけじゃない」
 吐き出すように言う蔵馬の口調が、昔のものから今のものへと戻っている。そのことに、嫌なはずなのに淋しさを感じてしまう。
 何を躊躇っているんだ、コエンマ。お前は変わったんだろう?
「だったらもう、ワシの前に現れる理由はないはずだ。帰れ」
 拳を強く握り、言い放つ。それでも動く気配が見られなかったから、ワシは振り向くともう一度言った。
「帰れ。でなければ、親衛隊を呼ぶ」
 決心が鈍らないよう、蔵馬をきつく睨みつける。
 蔵馬は黙ってワシを見つめていたが、暫くして溜息を吐くとワシの横を通り過ぎ開け放たれたままの窓へと向かった。
「分かりました。帰ります」
 窓枠に手を掛け、ワシを振り返る。そして。
「変わったから、オレはここに来たんですけどね」
 少し淋しそうな表情でそういうと、あっという間に消え去ってしまった。
 残されたワシは窓から入ってくる風になのか、何の影も見えない風景になのか寒さを感じ。
「そんなこと、ワシは知らん」
 聞こえるはずもない言葉を返すと、乱雑に窓を閉めた。
(2009/11/10)
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