289.エレガント(不二榊)
 鍵盤の上で滑らかに動くその指先を、不二はじっと見つめていた。それは、音がダイレクトに響く場所であるにも拘らず、時折聴こえなくなるほど熱心に。
 最後の和音が響き、そして静寂が訪れる。指先が鍵盤から離れたと同時に不二は視線を上げると拍手をした。
「やっぱり、グランドピアノはいいですね。どうしてもっと早くに購入しなかったんですか?」
「弾きたくなれば外で弾けるのでな」
「ならどうして」
「君が、聴きたいと言ったからだ」
「榊さんのピアノが聴きたいなんていった記憶、ないんですけどね」
 そう言うと、不二は榊の背後に立ち、腕を回した。襟足に鼻を埋め、整髪剤の混ざった男の匂いを吸い込む。p 「なら、どういうつもりで言ったんだ?」
 胸に回された不二の左手に自分の右手を重ねると、榊は言った。不二の指の間に自分の指を割り込ませる。
「そのままですよ。ピアノを弾いている、あなたの指を見ていたい」
 榊の手の甲に爪を立てそこから逃れると、不二は榊の体を押し退けるようにして隣に座った。触れる腕を持ち、鍵盤の上へと置く。
「鍵盤の上の榊さんの指が好きなんです。優雅で。とても、その体躯からは想像できない」
「ピアノ以外に触れている私の指は嫌いか?」
 自分を見つめ微笑う不二に、榊は鍵盤に触れていた指先でその頬を撫でた。二本の指で不二の顎を掴み、傾けさせる。そのままそっと唇を重ねると、不二の手が榊のうなじに触れた。
「嫌いだなんて。ただ、好きだと言っているだけですよ」
 まだ荒れてもいない呼吸。不二は落ち着いた声で言うと、榊のうなじを固く握り、自分の方へと引き寄せた。
(2010/01/31)
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