350.ノスタルジック(はるみち)
 月を背景にヴァイオリンを奏でるみちるを、じっと見つめる。白いワンピースは、月の光で少し青みがかって見えた。まだ生温い秋の風が吹いて、その裾と、彼女の髪を揺らす。
 音色の心地よさに、石の座席に深くもたれた僕は目を瞑った。懐かしい。そんな感情が沸き起こってくる。
 それは、彼女のヴァイオリンせいなのか、それとも僕たちを見下ろしている月によるものなのか、分からない。だけど。
 どうして、懐かしさなんて。
 その感情に身を委ねてしまえば楽だと分かっているのに、僕はそうなってしまうことが嫌で、歯軋りをすると目を開けた。いつから見ていたのか、視線を向けると、相変わらず優雅に弓を動かしている彼女と目が合った。
「何をそんなに思いつめているの?」
 曲の途中なのに、彼女は弓を弦から離すと、言った。肩に乗せていたヴァイオリンも下ろし、最前列に座る僕の前に立つ。
「もう、いいのか?」
「はるか」
 問いかけた僕に、彼女は逆光の中、困ったように微笑んだ。
「ごめん」
 呟いて、立ち上がる。両手が塞がっている彼女のかわりに、僕は腕を伸ばすとその顎に触れた。目を瞑った彼女に、そっと口づける。
「なぁ、みちる。僕は、海王みちるが好きなんだ」
「知っているわ」
「本当に?」
「ええ」
 手を滑らせ、頷いた彼女の髪を梳く。本当は、そのまま強く抱きしめたかったけれど、ヴァイオリンを傷つけるわけにはいかないから、我慢した。
 大人しくベンチへと戻り、演奏の続きを促すように彼女に向かって手のひらを見せる。
「仕方がないわね」
 頷いた彼女は、納得のいってない顔で、それでも月光が照らし出すステージへと戻っていった。
 本当に、君は知っているのか? 凛とした姿勢で再び弦を鳴らすその姿に、思う。
 そう、きっと君は知らない。
「みちる。僕は、君だけを愛してるんだ」
 呟いた声はきっと彼女には届いていない。届けるつもりもない。ただ、僕たちを照らし続けるあの月には届いて欲しいと。そんなことを思った。
(2010/04/28)
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