352.言えないその一言(ウラネプ)
「じゃあ僕は行くよ。手当てはしたが、君のその傷は薬を塗ればすぐに治るってわけじゃない。もう少し体を休めた方がいい。僕の星のことは、僕がどうにかするから」
 ベッドから零れた私の腕を毛布の中に仕舞うと、彼女は言った。その姿に、幻が。今はまだ幻であるはずの色が重なった。
 ウラヌス。声にはならず、唇だけで名前を呼ぶ。
「何?」
 鏡に映った未来。今までそれを変えようとしたことはないけれど、やって出来ないことはないのかもしれないと思う。けど。
 未来(それ)を変えることは、つまり。使命を、放棄するということ。
 そんなこと、きっとこの人は許してくれないだろう。それは分かっている。分かってるけれど。でも、このままだと。
 ――行かないで。
 行ったら、貴女は死んでしまう。
 鏡を覗く度に見せられた残酷な未来。今見ているのは鏡ではなく、現在の彼女なのに、どうしても幻を取り払えない。
 恐怖にわななきそうになる唇。口を固く結んでいないと零れてしまいそうになる言葉。
 でも、言ったところでどうなるというの?
 どうせそれを聞いたとしても、きっと彼女は行ってしまう。例え自分が死ぬと分かっていたとしても、逃げることなく、最後まで運命の中で足掻き続ける。私が愛したのは、そういう人。
 だとしたら。不用意な発言で不安にさせない方が。それとも、逆に総てを話した方が?
「なんだよ、ネプチューン。淋しいのか? 大丈夫だって。さっさと片付けて、戻ってくるさ」
 黙ったままの私を安心させるよう、優しく微笑む。髪を梳くようにして撫で、頬に滑り落ちてきた温かい手を、私は掴んだ。
「……ネプチューン?」
「キスを」
「おいおい。なんだよ」
「ウラヌス……。お願い」
 これがきっと、最期だから。
「ったく。いつから君はそんな甘えん坊になったんだか」
 困ったように笑いながら。それでも彼女は掴まれていた手を解きくと、指を絡め直した。そっと私の唇に触れる。
 それだけで、すぐに離れていこうとするから。私はそれを追いかけると、深く、重ねた。
 このまま時間が止まればいいのに。そんな馬鹿げたことを真剣に祈りたくなる。それよりも今はもっと、この温もりと感触を、体に刻まなければいけないのに。
「……満足?」
 呼吸を整えるため、小さく溜息を吐くと彼女は言った。
「ええ」
「よかった。じゃあ、行ってくるよ」
 私の返事に、何の疑いもなく微笑む。私はそれに精一杯の微笑みで返した。絡めていた指が解け、たいした熱も残さずに離れていく。
 ――いかないで。
 閉まろうとするドアの隙間から覗く、振り返ることを知らない背中に、私は無言のまま絶叫した。
(2005/01/25)
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