364.今だから言える真実(はるみち) ※『352.言えないその一言』と関連
「……ヌス」
 僕の隣で、僕じゃない僕を呼ぶ声が聞こえた。
「いかないで。お願い。ウラヌス」
 悪夢を見ているのだろうか。覗き込んだみちるの寝顔。その眉間が僅かに寄っている。
「……ネプチューン」
 迷った末に、みちるじゃないみちるを僕は呼んだ。それに反応するように彼女は目を開け、僕を認めては安心したように笑った。
 手を伸ばし、僕の頬に触れる。それが何を求めているのか分かったから、僕は彼女の手に自分の手を重ねると、唇を寄せた。
「おはよう」
 額を合わせ、微笑む。瞬間、僕の中にイメージが流れ込んできた。
 いや、イメージじゃない。これは、記憶……?
 時間にするとほんの刹那だっただろう。だけど、僕にはそれが果てしなく永い時間に感じた。
 血を流し倒れている僕。抱きしめているネプチューンも同じように傷を負っていたが、二人は決定的に違った。僕は、彼女の腕の中で、息絶えていた。
 僕の名前とごめんなさいを交互に呟きながら、涙を流す彼女。その頭の中には自分への叱責と後悔があった。その理由までは、僕には分からなかったけれど。ただ、いかないで、という言葉が、記憶の最後に聞こえてきた。
「はるか?」
 僕を過去から引き戻したのは、他の誰でもない、みちるの声だった。気が付くと僕は、弾かれたようにみちるからその身を離していて、彼女はそんな僕を怪訝そうに見つめていた。
「今、君の……ネプチューンの記憶が。流れ込んできたんだ」
「……私の?」
「僕が死んだとき。君は酷く後悔し、そして自分を責めていた。でもあれは、確か……。そう。僕が、ひとりで戦うことを選択したんだ。君は怪我を負いながらも、僕を助けるために駆けつけてきてくれた。それだけで……。何も、自分を責める必要はないんだ」
 ネプチューンの記憶に侵され、僕の方も少し混乱していたのかもしれない。恐らく僕がさっき見せられた記憶は、みちるが夢で見ていたものなのだろうけど。みちるがその夢を覚えているか分からないし、例え覚えいたとしてもネプチューンの記憶は記憶として、みちるが悔やんでいるとも限らないのに。
 余計なことを言った。僕が言わなければ、みちるは気にしなかったかもしれない。黙り込んだみちるに、冷静さを取り戻した僕は後悔した。僕を見つめる彼女の目は、怪訝そうなそれから、哀しみの色に変わっていた。
「違うの、あれは……。あの場で貴女を助けられなかったことへの後悔ではないの」
「どういう、こと、だ?」
「私は知っていたのよ。貴女があの戦いで死んでしまうことを。鏡で。何度も、何度も視ていたから」
 僕を押し退け上体を起こすと、みちるは手鏡を取り出した。僕も彼女の隣に座り直し、鏡越しにその目を覗き込む。
「ネプチューンには、鏡越しに未来が視えたの。けれどそれは予知夢にも似たもので。だから、見たい未来が視れたわけではないし、いつでも視れるというわけではなかった。だけど。……あなたが。ウラヌスが死んでしまう映像は、あの日から、鏡を覗く度にずっと視えていたわ」
「あの日?」
「ウラヌスと……その。初めて、朝を迎えた日よ」
 躊躇いがちに言う彼女に少しだけ頬を緩めたが、その後にやってきた事実に僕は衝撃を受けた。
「そんな。だってあれは、僕が死ぬ数日前なんてもんじゃなかったはずだ」
「ええ」
「そんな。君は……」
 そんなに前から、僕が死ぬ瞬間を、見続けていたのか?
「だからあの日。私を介抱した貴女が、自分の星へと向かおうとした時。本当は、分かっていたの。止めなければ、貴女は死んでしまうって。……だけど、私にはそれが出来なかった。ごめんなさい。貴女を、救えたかもしれないのに、私っ」
 鏡を持つ、手が震える。僕はそんな彼女の手に触れると、もう片方の手で肩を抱いた。角度が変わったせいで鏡越しに顔を覗きこむことは出来なかったけど、別に構わなかった。
「ごめん」
「えっ?」
「君が、そんなに苦しんでたなんて」
「どうして、貴女が謝るの?」
「もし僕が、君の立場で。そんな、自分の愛する人が死ぬ場面を、幾度も見せられたら。きっと、正気じゃいられない。それも思いを遂げたその日からなんて」
 自分の運命を呪いたくなるかもしれない。もしかしたら、それが原因で相手の死を早めてしまったのかもしれないと。
 きっと、ネプチューンは苦しんでいたはずだ。二人が微笑みを交し合っていたその中でも、きっと、何処かに僕の死のイメージがつきまとって……。
「ごめん。僕だけが、ウラヌスだけが倖せで。君が……」
「私も、倖せだった。貴女だけじゃない。私だって、倖せだったわ。貴女の、死の瞬間を見てしまっていても。それでも私は倖せだった。ネプチューンは、確かに倖せだったの」
 鏡が彼女の手から滑り落ち、その場所に僕の手が収まる。視線を移すと、僕を見つめる彼女と視線が交叉した。
 キスを。彼女の唇が、静かに動く。僕はそれに微笑むと、そっと唇を重ねた。けれど、触れるだけで離れようとする僕を、彼女は追いかけてきた。その行動に、何故か既視感を覚える。
「いかないで」
 それは、誰からの、誰に向けられた言葉だったのだろう。
 彼女は、ネプチューンには未来が視えていたと言った。つまり、みちるには視えていないということだ。なのに。
 ……ああ、でも、そうか。結局。未来が視えても視えなくても。いつかは別離の時は訪れるんだ。それが例え、死別であったとしても。
「いかないよ、僕は。約束する。君を置いてはいかない。決して」
 置いていくのは、きっと。君のほうだと思うから。あの時、みたいに。
「だから、大丈夫」
 なだめるように、みちるの髪を撫でる。寄りかかってくるその体温を感じながら、僕はウラヌスをほんの少しだけ、羨ましいと思った。
(2010/05/16)
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