439.アンコール(はるみち)
 指を鍵盤から離し、余韻を残す様にペダルから足も離す。丸めていた背を伸ばし、ふぅ、と溜息をつくと上品な拍手が聞こえてきた。無音のホールに、その音だけが響く。
「いつから?」
「はじめからよ」
「そう」
 彼女が傍にいれば、僕はいつだってすぐに気付くのに。それだけ、集中していたということだろうか。それとも。
「羨ましいわ」
「え?」
「ピアノ(その子)が。だって、私が入る余地なんて無かったもの」
「……おいおい。無機物相手に嫉妬するなよ」
 冗談とも本気ともつかない声に、思わず苦笑する。けれど彼女は笑みを返すこともなく、最前のシートへと腰を下ろした。
「アンコール、お願いできるかしら」
「君の前で改めて披露できるような腕じゃないよ、僕は」
「それでも聴きたいわ。貴女の曲を」
 ゆったりとした動作で足を組み、肘掛に載せた手で頬杖をつく。それは僕にしか見せないリラックスした姿勢だったけれど、この状況では値踏みされているように思えた。
 緊張するな、なんか。頭の中で彼女に似合う曲を探しながら、そんな事を思う。彼女は、こんなにもリラックスしているというのに。不公平じゃないか。
 ああ、そうだ。
 思いついた僕は、頭の中の譜面を開くと、鍵盤に手を乗せて言った。
「その代わり、弾いてる間、僕がピアノ(この子)しか見てなくても拗ねるなよ」
「――え?」
(2010/4/22)
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