471.いまわの際(不二幸)
 最期の口付け。名残を惜しむように銀糸を繋げながら、俺たちは離れた。不二、と名を呼び、その首にすがりつく。
「精市?」
「俺を、抱いてくれないか?」
 寝てばかりで力の入らなくなった腕。それでも必死に不二を抱きしめながら、耳元で囁いた。でも。
「駄目」
 優しい声とは対照的な強い力で、俺の手は解かれ、ベッドに寝かされてしまった。どうして、と聞き返そうと開けた口を、ピンと伸ばした人差し指で塞がれる。
「明日の、手術が成功したら、幾らでもしてあげるから」
「失敗すれば、俺は死ぬ。だから、最初で最期のお願いだ」
 唇に触れる不二の手を掴み、懇願する。こんな姿、部員達が見たら驚くだろうが、今は俺と不二の二人しかいないし、例え他の誰が見ていようと俺はこうしていただろう。
「精市の手術は成功するよ。それと引き換えに、立海は負けるけれど」
 なだめようとしているのか、少しおどけたように不二は言うと、空いていた手で俺の頭を撫でた。だから、最初で最期なんかじゃない。優しい声で、そう付け足す。
「先のことなんて」
「分からないかもしれない。でも、僕はそう信じてる。信じたいから、今は君を抱かない」
 撫でている手で俺の額の髪を書き上げ、そっと唇を落とす。
 不二の顔が離れるのと同時に、俺の手から不二の手も離れて行ったけれど、もうそれを追うことはしなかった。多分、これ以上は何を言っても無駄だろうから。
「ん。良い子」
 離れた距離に、不二が微笑む。それがまるで母親に何かを言い聞かされたようで。俺は何となく俯いてしまった。
「不二」
「うん?」
 呟きに、不二が小さく反応する。
「信じて、いいんだな?」
「信じるのは、自分の力だよ。それと、お医者さん」
「そうじゃなくてっ。……手術が成功したら、俺を抱いてくれると」
 顔を上げた俺の、何に驚いたのか。不二は一瞬だけ息を詰めると、それをゆっくりと吐き出した。そうだね、と微笑って、俺の前に小指を差し出す。
「こういう、子供じみたのは精市は嫌いだったかな?」
「……嫌いだ。だけど」
 少しでも、不二に触れたいから。その言葉は口にせず、俺は小指をしっかりと絡めた。二回ほど手を上下に振り、離す。
「僕は、約束は守るよ」
「守れない約束をしないだけだろ?」
「まあ、そうなんだけどね」
 俺の言葉に不二は苦笑すると、傍らに置いてあったバッグを肩にかけた。
 行くな。言いそうになるのを、どうにか堪える。
「精市」
「何?」
「また、明日」
「……ああ。また明日」
 何とか返した言葉に、不二はまた苦笑すると、そのまま個室を後にしてしまった。
 もしかしたらこれが最期になるかもしれないから、笑顔で別れたかったな。静まり返った部屋に、そんなことを思ったけれど。
「手術は成功する。引き換えに立海は負けるけれど、か……」
 関東大会で負けても、全国で勝てばいい。王者としてそんな風に考えることは間違っているのだろうが。
「不二……」  それでも、俺は。今、だけは……。
(2010/06/25)
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