498.スパルタ式(不二カチ)
「……僕が、コーチ?」
「だ、駄目ですか? 聴いた話だと、不二先輩はもう、高校の推薦が決まったって言うし。だから、その。卒業するまでで、いいので」
 言葉がだんだん小さくなっていく。大会を、応援というカタチだけど一緒にのりこえてきて、多少は先輩たちとも話せるようになって。だから、今日だって大丈夫だって思ったのに。
 抱えたラケットに力がこもり、ギギっと音を立ててガットが曲がる。緊張してるの、不二先輩にも伝わってるだろうな。そう思うといっそう恥ずかしくなったけど、こうでもしてないと今にも駆け出してしまいそうだったから。ボクはラケットを胸に抱えて俯いたまま、不二先輩の返事を待った。
 一秒、二秒。聴こえてくる心臓の音にあわせて数えてみる。緊張してるはずなのに、ずいぶんとゆっくりだ。でも、もしかしたら、ゆっくりに感じてるだけなのかもしれない。だって、いつまで経っても、不二先輩の口から、イエスもノーも返事が来ないし。
 どうしたんだろう。もしかして、ボクの情けなさに呆れたのかな。
 そう思って顔をあげると、いつもみたいな優しい笑顔じゃなく、試合で相手を見つめる時みたいな真剣な青い眼と目が合った。思わず、一歩だけ、後ろに足がでる。
「少し、勘違いしてるかもしれないんだけど。ちょっと教えるっていう程度だったから、優しくしてたけど。真面目に教えるとするなら、僕は結構スパルタだよ?」
 それでもいいのかな。不二先輩の目が、ボクの気持ちを探るように見つめてくる。
 少しだけ、怖い、と思った。不二先輩が本気を出す相手なんてそんなにいなかったと思うけど、本気を出された人たちは、この目を前にして、よく棄権しないで試合ができたなって思う。いや、ボクが弱いだけなのかもしれない。けど。
「やめておこうか。もう少し、竜崎先生に扱かれてからにしたほうがいいよ。その他大勢として」
 不二先輩の目がいつもみたいに優しい弧をえがいていく。手が伸びてきて、強張ったままのボクの肩を軽く叩いた。でもボクは緊張をとかず、もっと強くラケットを握りしめると、思いっきり首を左右に振った。深呼吸をして、不二先輩を見上げる。
「勝郎くん?」
「大丈夫です。頑張ります。だから。不二先輩の中ではその他大勢じゃなく、一人としてボクにテニスを教えてくださいっ」
 直角に近い角度で頭を下げる。下げようとした。けど、ボクの頭は、45度くらいの角度まで曲がった時に不二先輩の体にぶつかってしまった。慌てて姿勢をなおす。
「す、すみませんっ。ボク、あのっ、その……」
「そんなに慌てなくて良いよ。君の本気は分かったから」
 ボクがぶつかった場所だと思う胸を軽くさすりながら、不二先輩は笑った。
「竜崎先生に話してみるよ」
「……いいん、ですか?」
「何驚いてるんだい? そうして欲しくてお願いしたんだろ」
 クスクスと可笑しそうに笑いながら、不二先輩はボクの頭を軽いた。
「だから、とりあえず許可が出るまでは、ちゃんと竜崎先生の指導の下でテニスをすること。いいね?」
「は、はい! ありがとうございます!」
 今度こそ、90度に腰を曲げて礼をする。3秒数えてから顔を上げると、不二先輩の手が、ボクの目の前に伸びてきた。
「よろしく」
「よろしくおねがいしますっ」
 強く握ってたせいでガットの跡がついてしまった手で、不二先輩の手を握りしめる。今まで何度か触れたことはあったけど、今日の握手は一番温かくて、力強いものになった。
(2010/12/06)
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