524.生きる権利(はるか&うさぎ) |
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熱にも似た痛みが頬に走る。ぶれた視界の先に映る小さな手に、僕は今、頬を打たれたのだと知った。 「どうして、はるかさんたちは。そんな、簡単に命を捨てるような真似をするんですかっ」 叩いた手が痛かったのかもしれない。彼女は左手で右手を握りしめながら、僕を睨みつけた。その目には、薄っすらと涙が溜まっている。 怒りながら泣くなんて、器用だな。痛みのせいだけではなく、痺れはじめた思考回路で、思う。 「簡単なんかじゃないさ。ただ、それしかこの地球(ほし)を救う手段がなかっただけだ」 「それなら。そんな、命を捨てなきゃ救えないのなら。地球なんて救わなくていいっ」 彼女の口から出た、らしくない言葉。いや、プリンセスらしくはないだけで、月野うさぎらしいといえばそうなのかもしれないが。思いもしなかった言葉に、僕は一瞬絶句してしまった。喘ぐように何とか言葉を紡ぐ。 「……なに、を、言ってるんだ? 地球が滅びてしまえば、みんな死ぬんだ。それなら、出来る限りのことをするべきだろう」 「それが命を懸けての作戦だっていうんですか? 地球が滅んでも、もしかしたら、はるかさんひとりなら、生き残れるかもしれないのに」 「守るものがないんじゃ、生き延びたって仕方がないさ」 「どうしてよ!」 叫ぶ彼女の目から、溜まっていた涙が零れていく。どうして泣いているのかいまいちよく分からなかったが、ただ、その泣き顔は見ていたくないと思い、僕は手を伸ばした。それが頬に触れる前に、温もりが僕の胸と背中に訪れる。 腕の中で、堰を切ったかのように彼女が嗚咽を上げる。なだめようと頭をそっと撫でてはみたけれど、嫌々をするように彼女は首を振った。その度に、長い髪が僕の腕を掠める。 「僕たちは、地球を、君を守るためにいるんだ。守るべきものを失った戦士に、生きる資格なんてない」 「違うっ」 「違わない」 「違う! 生きる資格なんて、そんなもの誰にもない。人は、生きる権利があるから、その意思があるから生きるのっ」 顔を上げ、さっきよりも至近距離で僕を見つめる。涙は僕のシャツが総て吸い込んでくれたみたいだけれど、感情までは拭ってくれなかったようだ。 「そう、だよね?」 いつまでも僕が黙っているから。彼女は不安げな声で訊いてきた。その言葉に、軽く頷く。けど。 「普通の人は、ね。でも」 「戦士にだって、きっと――」 そろそろ鬱陶しくなってきたその唇を、塞ぐ。僕の行動を予期していなかったのか、彼女は暫く硬直していたようだけれど。その口を割って入ろうとした途端、腕の中で暴れ出した。胸を強く叩かれ、思わず咳き込んでしまう。 「はるかさんっ。ふざけないでください」 「ふざけてるのは君のほうだろ。……プリンセス」 拒絶をされたことも加わり、苛立ちが増す。言ってしまった後で、随分と酷い言葉を吐いたものだと思ったが、もう取り消すことは出来なかった。 僕の反撃によろめくその肩を、強く掴む。 「僕は普通の人として生きたかった。その権利を奪ったのは、君の存在だ。違うか? それなのに、地球を救わなくていいだと? それなら僕を使命から解放してくれ」 「そんな。私はっ……。だって、そんなこと言われたって、どうしたら」 彼女の目から、再び涙が溢れ出す。今度は混乱の涙だろうか。本当に、このお姫様は泣き虫だ。 「どうって。そうだな」 手を伸ばし、頬を伝う涙を拭う。自分の思考に戸惑いながらも、僕は濡れた手を滑らせた。彼女の首を、軽く握る。 「はるか、さん?」 「君が死ねば。少なくとも、プリンセスを守るという使命からは解放される。……の、かもしれないな」 指先に、少しだけ力を入れる。気管も動脈もまだ絞まってはいないはずだが、彼女は苦しそうに喘いだ。驚愕に見開かれた目が、僕を見つめている。そう思ったのも束の間、彼女は何故か微笑むと、僕の左手を握った。それを、僕の右手に重ねるように、自分の首へとあてがう。 「……何の、つもりだ?」 「私が死ねば、はるかさんはちゃんと生きてくれるんですよね?」 本気とも冗談ともつかない目。いや、彼女はこんな場面で冗談など言えるはずがないから、きっと本気なのだろう。だが、正気だとは思えない。そうでなければ、ただの馬鹿だ。 「どうして君は。そうやって簡単に命を捨てるような真似をするんだ?」 「――えっ?」 「言ったはずだ。守るべきものを失った戦士に、生きる資格はない。僕を生かしたいなら、すべきことはこんなことじゃない。誰よりも倖せに生きることだ」 突き飛ばすようにして、彼女から手を離す。強く喉を押されたせいで僅かに彼女は咳き込んだが、当然のことながら首には僕の手形はついていなかった。どういう感情からか、そのことに深く息を吐く。 「はるかさん」 「もういいだろ。今更、生き方は変えられない。そういう風にしか生きられないんだ。……君は、僕から生きる権利だけじゃなく、資格まで奪うつもりか?」 「それは……」 また、彼女の目に涙が溜まる。一体何の涙なのか。そこにある感情は、もう僕に見当がつかない。 けれど、それもどうでもいいことだ。今は、彼女が泣いていても心が揺らがない。自分でも驚くほど冷静に、現状を見下ろしているのが分かる。 溜息をつき、涙を拭おうと手を伸ばす。けれど触れる前に彼女の体がビクリと動いたため、僕は持ち上げた手をそのまま下ろした。不安げに顔を歪める彼女に微笑み、背を向ける。これ以上は、ここにいても無意味だろう。いや、元々意味なんて無かったのかもしれないが。 だが、歩き出そうとした瞬間、彼女の細い腕が背後から伸びてきて、僕の体に巻きついた。隙間もないほどに体を密着させられる。 「離せ」 「私が誰よりも倖せに生きることを望むなら、はるかさんは何があっても絶対に生きてください」 「何?」 「はるかさんが死んだら。私はそれだけで不倖になります。だから、絶対に――」 「離せ」 言葉を遮り、強引に腕を解く。振り返り見た彼女は、睨みつけた僕に言葉を失ったようだった。その白い首に向かって、もう一度手を伸ばす。 「……これ以上、妙なことを言うのなら。本当にお前を殺す。分かるか? それはお前だけじゃない。太陽系のセーラー戦士全員を殺すことと同義だ」 片手でも壊せそうなほどに細い首。僕の言葉が効いたのか、それとも本当に苦しかったのか、力を入れると彼女は今度こそ抵抗した。 その姿に満足し、手を離す。 咳き込み、その場にへたり込む彼女に手を差し伸べることもせず、僕は背を向けると再び歩き出した。次に彼女の前に現れることがあるとするなら、きっと、どうしたって地球を守る使命の中なのだろうと拳を強く握りしめて……。 |
(2010/06/11) |
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