530.風変わり(はるか&エルザ)
「あなた、かわっているわね」
 突然、僕の隣で誰かが何かを呟いた。うるさい独り言だな。そう思いながら、ストレッチを続けていると、天王はるかさん、と名前を呼ばれた。
「僕?」
「名前は間違ってないはずだけど」
 見上げた僕に、彼女は必要以上にに体を曲げて笑った。片手を僕の背に添え、強く押してくる。
「痛っ」
「アスリートとしては、体、硬い方よね」
 それなのにあんな柔らかい走りが出来るのは、やっぱり全力を出していないから、か。
 今度こそ独り言なのだろう。けれど、その声は大きすぎた。膝の後ろに感じた痛みだけじゃなく、彼女を見つめる顔をしかめる。
「当たってるからって、むっとしない。ほんと、クールに見えるけど感情は豊かなのね。流石、みちる。よく見てるわ」
 ミチル。彼女の口から出てきた名前に、またか、と僕は溜息を吐いた。
 小学生の頃は、やたらとクラスの女の子から憬れを抱かれた。けどそれは距離が近いせいもあって、胸の内に秘められる程度のものが殆どだった。教室という狭い箱の中にいるのだから、当然だ。話しかけられれば、言葉は交わす。クラスメイトたちはそれで充たされていた。
 しかし、中学に入ってから。殊に陸上をはじめてから。フリークと名乗る他校生が僕の周りに纏わりつき始めていた。それは僕と気軽に言葉を交わせないということもあり、行き場のない想いをただただ胸に募らせて。そのうちの何人かはこうして零れた想いを他人に託す。同じ陸上の選手なら、まだ僕と会話を交わしやすいだろうからと。
「何考えてるの?」
「……考えること自体、面倒なこと」
「だったら考えなけりゃいいのに」
 考えさせてるのは君だろう。言いかけて、僕は言葉を飲んだ。よく見ると、彼女は手に何も持っていなかった。こういう時はまず所謂ファンレターやプレゼントを渡されるのだけれど。まさか、行き成り呼び出しというわけじゃないだろう。
「案外、真面目なんだね。そっか、だから走ってるのか」
「何?」
「無駄な思考から、逃げるために」
「……逃げられないさ。こんな退屈なゲームじゃ」
 そう、ゲームとしては、退屈だ。それでもまだ僕が陸上をやっているのは、球技などのスポーツとは違って、自分自身と競えるからだ。球技は相手のレベルが高くなければゲームを楽しめないが、陸上は一位をとったところで終わりじゃない。速く走ればそれだけ、目指すべき目標が高くなる。
「悪かったね。あなたに本気を出させてあげられなくて」
「ああ、そうか。君、僕と走るのか」
「今までも何度か走ってるはずだけど」
「……すまない」
「そう思うなら、名前くらい聞いて欲しいな。どうせ知らないでしょう?」
 怒っているわけではない。寧ろ、楽しんでいるような口調。それも、僕に憬れを抱いている子たちが歓喜するようなものとは違う。
「ええと、ああ。じゃあ、名前を」
「エルザよ。エルザ・グレイ」
 戸惑いながら尋ねた僕に、エルザは満足げに微笑むと、女性らしくない、けれどアスリートらしい腕を伸ばしてきた。その手を、掴むことなく立ち上がる。
 普通ならそこで腕を引くはずなのに。変わらない笑顔で僕に手を差し伸べ続けるエルザに、変わった奴だ、と呟いて微笑うと、当初の予定通り握手を交わした。
(2011/03/23)
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