548.いたれりつくせり(蔵飛)
 何が不満なんだ、と、ムクロに言われた。宿もある、飯もある、下の世話だってしてくれるんだろう? いたれりつくせりじゃないか。
 人の部屋に勝手に入ってきて何かと思えば。アイツを思い出させる言葉に、俺はムクロを睨みつけた。
 そのまま取っ組み合いになっても構わないと思っていた。なのに、ムクロはニヤリと笑っただけで部屋を出て行ってしまった。
 残ったのはやり場の無い苛立ちだけ。
 鼻を鳴らして、再び枕に頭を下ろす。組んだ足。視界に映る靴が不快で、両足を投げ出した。
 何が不満なんだといわれれば、これといったものは思い浮かばない。だが、時々あそこに行くのが嫌になる時がある。
 何もかもを世話されて、不満の無い生活。きっとそれが不満なのだろう。
「飛影」
 空耳かと思った。だが、足元に見える光と、入り込んできた匂いのようなものに、それが幻ではないと知る。
「どうして来た」
「ムクロが快くいれてくれました」
「そうじゃない。何故ここに来たのかと聞いているんだ」
 上体を起こし、蔵馬を睨みつける。まだ残っていた苛立ちが容易く戻ってきて、左手を疼かせる。
 ムクロとは出来なかった手合わせを、かわりにコイツで消化してやろうか。それでもいい。元々この苛立ちは、コイツのせいでもある。
「オレが来るの、待ってたんでしょう?」
「は?」
「だから、来たんですよ。会社を休んで、ね」
 微笑んだままベッドに腰を下ろし、手を伸ばす。その指先は俺の靴に触れ、いつもと変わらない手つきで脱がせた。
「土足厳禁」
「ここは俺の部屋だ」
「ムクロの城ですよ」
 軋みを立て、同じように靴を脱いだ蔵馬がベッドへと上がってくる。俺の膝を跨ぐようにして向かい合い、また微笑う。
「邪魔だ」
「バックがいいですか?」
「そういうことではっ」
 口を塞がれ、吐き出した息が合わせた唇の隙間から漏れていく。苛立っているはずなのに、疼く左手は蔵馬の背をしっかりと掴んでいた。体が、ゆっくりと倒れていく。
「お待たせしました」
「……くそ」
 嬉しそうに目を細める蔵馬を睨みつけるが、未だに離れない左手に説得力を欠く。それなら自由の利く右手でどうにかしてやろうと伸ばしてみたが、結局垂れ下がる蔵馬の髪を掴んだだけだった。
 そうさせられているのか、それとも自分でも気づかない欲求を読まれているのかが分からない。あそこにいるときと同じ不快感。まるで自分の意思など存在しないような気になってくる。
 腹が立つ。
「蔵馬」
 名前を呼び、髪を引く。それでも唇は重ねずに、ただ強くその体を抱きしめた。何もしたくなかった。互いに求めているのなら、尚更。
「……飛影」
 暫くして、耳元でため息の混ざった声が響いた。強引にでも犯してくるのかと思ったが、ただからだの力を抜き俺の頭に手を添えただけだった。
 体にかかる圧に、そのまま心が押し潰されそうになる。
「くそ」
 結局、蔵馬がどんな行動をとっても同じなのだ。俺の上面と本心が一致しない限り、蔵馬がどう出ても、それは俺の望んだ行動になる。だから、俺の意思が存在しないような錯覚に陥ってしまう。
 馴染んでゆく重みと温もりに腹が立つ。同時にそれを心地よく思っている自分がいることも否めず。混乱の中、俺の腕は硬直したように蔵馬を抱きしめ続けた。
(2011/09/04)
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送