555.さめざめ(不二観)
「そんな風に泣いても、可愛くないから」
 放った言葉は、深とした部室に思った以上に冷たく響いた。
「君が望んだことだろ、観月。僕はそれに応えただけだよ」
 無造作に脱ぎ捨てられたジャージを手に取り、袖を通す。裸のままの観月にとりあえず彼のジャージを丸めてパスしたけれど、反応を示さなかった彼は自分の体でそれを受け止めた。ポロシャツが彼の泣き顔を半分だけ隠す。
 どうせ放心するなら、良すぎたからって理由がよかったな。
 溜息を吐き、ジャージのポケットに手を入れると、冷たい感触と硬い音がした。大石から預かった、部室の鍵。ルドルフとの練習試合を終えてからもう1時間は経っている。そろそろ帰らないと、先に家に帰っている裕太が心配するだろう。
「僕を嫌いになったかい?」
 彼の正面にしゃがみ、ポロシャツに手をかける。だが、それを奪い取ることは出来なかった。急に動き出した観月の手がポロシャツを強く掴み、自分の顔に強く押し付けては嗚咽を漏らし始める。
「そろそろ帰らないと。 体が痛いのなら、着替え手伝うから」
 少女趣味のようなところがあるのは知っていた。余り打たれ強くはないことも。しかし、これは幾らなんでも。
「観月……」
 強引にでも腕をどかしてやる。そう思ったが、僕が手を添えると呆気なく観月の体から力が抜けた。赤く腫らした目。頬を静かに伝う涙。抵抗したために僕が噛み切った唇からは、まだ血が滲み出している。
「……不二クンは、どうしてボクを?」
 叫びすぎて掠れた声。僕は聞こえなかった振りをして曖昧に笑い返す。
 好きだと言われた。抱いてもいいと思えるくらいには嫌いじゃなかった。この機会を逃せば、全国大会が終わるまで彼を、誰かを抱くことは出来ないと思った。だから抱いた。なんて。そんなこと、彼に言えるはずも無い。
「とりあえず、着替えないと。話は、明日。僕の携帯番号くらい、君のことだから知ってるんだろ? 君の番号は裕太から聞いておくから」
 彼の手からようやくポロシャツを奪い、それを優しく着せていく。小学生の頃、甘えてくる裕太にそうしていたことを思い出し、口元が自然と緩む。不味いかとも思ったが、観月がこれを上手く勘違いしてくればいいと思い直すことにした。
 案の定、襟首から顔を覗かせた観月が、僕の口元を不思議そうに見つめている。
「下は自分で? それとも、僕が穿かせようか?」
 僕の言葉に、観月は少し躊躇った後で口を開いたけれど、何も言わずに立ち上がった。僕に背を向け、心なしか体をふらつかせながら、残りの服を身につける。恐らくは、強引に突き進めた後ろが痛んでいるのだろう。
「歩ける?」
「だい、じょうぶ、です」
 僕の顔を見ず、部室の隅に置かれたままの鞄を肩にかけると、観月は先に部室を出た。
 一体、何を慌ててるんだか。今更になって羞恥がこみ上げてきたのだろうか。そんなどうでもいいことを考えながら僕も部室を出ると、月光を反射して鈍く光る鍵を閉めた。
 その後ろでは、また、観月が静かに涙を流し始めていた。
(2010/11/18)
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