625.篠突く雨(ウラみち)
 静まり返った部屋に響く、ラジオノイズのような雨音。窓から見える景色は黒一色で、そこに映り込む自分の顔に勢いよくカーテンを閉めた。
 ソファに腰を下ろすと同時に、ため息が出る。落胆しているからなのか、それとも落胆している自分に軽い絶望を覚えたからなのか。
 今日は満月。けれど月は見えない。
 本当なら、喜ばなくてはいけないのだろう。私に拒否権はないのだから、それなら、機会を逸してしまった方がいいのだと。なのに。あの暗く分厚い雲の裏側はきっと、眩いばかりの月光に照らされて黄金に輝いているに違いないなどと、そんなことばかり考えてしまう。
「ウラヌス」
 雨音に消される声に、胸が締め付けられる。ざらつく舌は、それ以上の言葉を拒絶している。それでも。
「ウラヌス」
 堪えきれず再び名を呼ぶと、ベランダに向かった。窓を開けると、吹き込む雨が僅かに足元を濡らす。
「ネプチューン」
 突然聞こえた声に、振り返るよりも早く体を抱きすくめられる。どうしてと呟くけれど、それは音にならなかった。
 聞き間違えだったのかもしれないとも思った。けれど、回された腕の強さが、確かにその人であることを示していた。
「ウラヌス」
 辛うじて、その名前だけを吐き出す。私の驚きを察したのか、彼女は耳元でクスリと笑うと腕を緩めた。
「今日は満月だ」
「でも」
「何も僕は、月光を浴びて変身してるわけじゃない。きっとあの雲の向こうでは、満月が輝いているさ」
 でもそれなら、三日月だって、新月だって。見えないだけで存在していることには違いない。けれど、彼女が現れるのは決まって満月の夜。
「雨か。僕の星では、滅多にお目にかかれなかったな」
 私の横を通り過ぎ、裸足のままベランダへと出る。柵に背をつけるようにして腕をかけ天を仰ぐと、彼女は全身に冷たい雨を浴びた。
「気持ちいいもんだな」
「風邪をひくわ」
「構わないさ。どうせそれは僕じゃない」
 彼女の放つ言葉に、つきりと胸が痛む。そう、風邪を引きやすいのはこの人じゃない。翌日高熱を出して苦しむのは、それは。
「とはいえ、風邪を引いたら君が困るか」
 額に張り付く髪を掻き揚げ、口の端を歪めて笑う。広げられた手に吸い寄せるようにして抱きしめると、体を打つ雨よりも冷ややかな唇が首筋に触れた。
「冷たいわ」
「気持ちいいだろ」
 濡れた服越しに体温が伝わってくる。背に受ける鋭い雨は冷たく、肌に痛いと感じていたけれど。
「風邪を、ひくわ」
 肌の痛みも胸の痛みも、どちらも甘く響き始めていることを否定したくて。唇が離れた隙を突くように、私は繰り返し呟いた。
(2012/01/09)
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