666.廃盤(はるみち)
 ぼんやりと眺めていた棚の中に、ひとつ、見知ったものを見つけた。
 眠っている彼女を起こさないようベッドから抜け出し、それを手にとる。ケースを明け、ブックレットの最後のページにローマ字で書かれている名前を、そっと指でなぞった。
「……みちる?」
 隙間風が寒かったのかもしれない。彼女は毛布を手繰りよせ、隙間を埋めるよう自分の体に密着させると、私を呼んだ。寝惚けた顔。多分それは、私しか知らないのだろうと、少しだけ嬉しくなる。
「これ」
 ここにいない誰かたちへの優越感で笑い出しそうになるのを堪え、手に持っているものを軽く掲げてみせると、彼女は少しだけ目を見開いた。その後で、ああ、と呟く。
「子供のころ、と言っても今もまだ子供だけど。……幼いころ、母親が買ってきたんだ。よく眠れるからってさ」
「効果はあった?」
「いいや。音楽の授業で聞くクラシックは眠たくなるのに、何故かそのCDを聴くと、ドキドキっていうか、魂が揺さぶられるような感じがしてしてさ。全然眠れなかったんだ」
 今はもう廃盤になったけど、当時はヒーリング系のCDとして結構売れたのにな。体を起こしながらそう言うと、彼女は私に向かって手を伸ばした。
「みちるは、こういう流行りものに興味ないと思ってたんだけど。……聴く?」
 渡したCDを手の中で弄びながら、彼女が聞く。何も知らないその姿に微笑むと、けれど私は首を横に振った。
「ま、いいけど」
「聴きたかった?」
「いいや。癒されるなら、君の音がいいしね」
 CDを枕元に置き、再び私に手を伸ばす。大人しくその手をとると、強い力に抱き寄せられた。
「何か、隠してるだろ?」
 至近距離で私を真っ直ぐに見つめ、甘い声で囁く。それは、どんな自白剤よりも強力な魔法なのだけれど。今回だけは、私は必死でそれに抗った。隠してるわ。それだけを答える。
「言いたくない?」
「気になる?」
「勿論」
「……だったら、言いたくないわ」
 意味深に微笑って、彼女の腕から抜け出す。同時に、CDを手に取ると、奪い返される前に棚へと戻した。振り返り、また微笑う。
「ったく」
 私の行動の何に対してなのか、彼女は溜息を吐き、それから優しく微笑んだ。
 その表情に、手を伸ばされていないのに、吸い込まれるように彼女の元へと向かうと、私より少しだけ低いその体温を、強く抱きしめた。
(2010/07/23)
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