689.ガイドマップ(はるみち)
「みちる。何書いてるの?」
 スケッチブックに柔らかい鉛筆で線を引いていく。それは絵画のようにも地図のようにも見えた。
「みちる?」
 どれだけ集中しているのだろうか。彼女が一度動きを止めたことで、僕の言葉が届いているのかとも思ったけれど、次の瞬間にはまたさらさらと線を書き足し始めていた。
 こうなってしまったら、もうどうしようもないな。
 彼女の集中力が人並みはずれていることを知っている僕は、軽い溜息をつくと向かいのソファに座った。
 それから、どれくらいの時間が経っただろうか。部屋の中がいい加減暗くなってきたため、僕は立ち上がると灯りを点けた。そのことに驚いたのだろう。彼女は肩を揺らすと、リビングの扉の所に立っている僕を振り返った。
「……はるか。お帰りなさい」
「ずっと、君の向かいにいたよ。今は電気を点けるためにここまで来たんだ」
 本当に気付かれていなかったんだという淋しさを隠すように笑顔を作ると、僕は彼女の隣へと腰を下ろした。
「ごめんなさい。気付かなくて」
「いいさ。君のその集中力は君にとって必要なものなんだから。……で。僕を忘れるほどに君を夢中にさせていたのは、何?」
 茶化すような口調。彼女は、意地悪ね、と呟くと、それでも笑顔で僕にスケッチブックを見せてくれた。
「……これは」
 そこに書かれていた絵に、僕はほんの一瞬だけ、意識が遠のいたような感覚に陥った。
 最初にチラッと見たときは、もっと線が少なかったから気付かなかったけれど。これは、海王星の風景だ。
 驚きに動けないでいる僕に、彼女は口元に笑みを浮かべると、スケッチブックをパラパラとめくった。何枚かの海王星の絵が続き、途中からは僕の星、天王星の絵。
「これは」
「……ガイドマップよ。出来上がったら貴女にプレゼントしようと思っていたの」
「僕に?」
「そう。……前世の夢の中で、ちゃんとネプチューンの元に辿り着けるように」
「僕が、君の元に?」
「ええ」
 僕の言葉に、彼女が頷く。その淋しそうな表情に、いつだったか彼女が言っていたことを思い出した。
 最近よく視る前世の夢に、ウラヌスが現れてくれないのだと。
 と言っても、前世の二人が会う機会なんて、戦闘によりどちらかが窮地に陥った時が殆どだったはずだ。だから、彼女が視ている前世はとても穏やかな時間で、それは喜ばしいことだと。僕は、そう思うのだけれど。
「夢でも会いたい、何て言ったら。……やっぱり我侭よね」
 僕の手からスケッチブックを奪い返し、それを胸に抱える。俯いた横顔。髪に殆ど隠れてしまっていたけれど、覗く彼女の頬は薄っすらと赤みを帯びていて。
「同じ夢を視れるなら構わないけど。君だけの夢の中で、君とウラヌスが会っているのかと思うと、少し嫉妬してしまうかな」
 笑いながら彼女の手から再びスケッチブックを受け取ると、僕は彼女の城から真っ直ぐに伸びている一本道に前世の二人の姿を重ねては、そっとページを閉じた。
(2010/08/23)
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