696.禁猟区
 禁猟区というものが設けられた。そこでは争いが禁じられ、当然武器を持ち込むことも出来ない。
「プリンセスは私たちを殺したいのかしら」
 月世界の使者達が去っていく後ろ姿を見ながら、ずっと零れそうだった言葉を呟く。まさか。溜息混じりに聞こえてきた声に振り返ると、彼女は爽やかに片手を上げた。
「来ていたのね」
「月の使者(あいつら)が、僕の星に禁猟区の結界を張った後で君の星に行くっていうからさ。連れてきてもらったんだ」
「帰りはどうする気なの?」
「帰らない」
「えっ?」
「冗談さ」
 瞬間的に見せた真面目な表情に、冗談だと言い直されても顔が熱くなる。そんな私を見てか、彼女は微笑むと私の手を取って歩き出した。
 顔を上げた私の視界には、高いフェンスと、半透明の結界。思わず、足が竦む。
「どうした?」
「あそこは、危険だわ。禁猟区なんてルール、敵が知るはずもないし、知っていたとしても守ってくれるはずがない。あそこに入れば私たちはただ黙って殺されるしかないのよ」
 縋るように彼女の腕を掴む。なだめるように頭を撫でられたけれど、私は伏せた顔を上げられなかった。
 ほんの数時間前まで戦場だったここには、無数の肉片があり。血の匂いすら、未だ風に流されずに残っている。それなのに、どうしてあそこに入れるというのだろう。
「あいつらの説明、聞いてなかったのか? あそこには悪意を持つものは入れない」
 その話は聞いていた。フェンスの周りに張られた結界には、悪意を抱くものを拒む効果があると。けれど、プリンセスの力は無限ではない。
「見せかけよ。だって、そんな結界が作れるのなら、私たちが戦っている意味がないわ」
 プリンセスの力でこの太陽系を守りきれると言うことだもの。呟いて顔を上げると、真剣な表情が目の前にあった。少しでもプリンセスのことを悪くいうと、そうなのね。胸の奥が、つきりと痛む。
「この広大な太陽系を総て囲める結界なんて、幾らプリンセスでも無理さ。だから僕たちは世界を、プリンセスを守りるんだ。その代わり、プリンセスは僕たちを庇護してくれる。今回のことはきっと、プリンセスが僕たちに少しでも安らぎを与えようと思ってしたことだろう」
「そんなの……」
 都合が良すぎるわ。それとも。私が歪んだ解釈をしているだけなのかしら。
 黙る私に、彼女が軽い溜息を吐く。けれど、どういうわけか、彼女の口元はいつものように優しくなっていた。恐る恐る合わせた瞳も柔らかい。
「大丈夫。僕を信じて」
 何かあれば、守るから。ないと思うけど。
 優しい言葉。信じたくなる。でも、その後ろにあるものが、プリンセスへの絶対的な信頼だと言うことが、どうしても私の足を留めさせる。
「ネプチューン?」
「駄目だわ、私」
「大丈夫だって……」
「そうじゃないの。入ってからのことを言ってるんじゃないの」
 私は、きっと。あの結界を越えられない。……越えられないわ。
「ねぇ」
 もし私があの結界に弾かれたら。貴女は何を思うのかしら? 反逆者として、私を殺す?
 言葉にはせず、ただ彼女を見つめ返す。振り解いて逃げ出したいのに、彼女を掴んだ手から力が抜けない。それどころか、痛みを感じているのではないかと思う程に、強く握って。
「……分かったよ。悪かった。そんなに、不安にさせるつもりじゃなかったんだ」
 ただ、君に少しこの光景から離れて、休んでもらおうと思って。呟くように言って、彼女が当たりを見回す。瞬間、忘れかけていた血の匂いと惨劇が甦ってきて、思わず彼女の胸に顔を埋めた。
 腫れ物にでも触れるように、彼女の手が私の髪を梳く。
「安らぎなんて。貴女がいれば、私はそれで充分なの」
 随分と弱くなってしまったわ。そんな風に思いながらも、彼女の胸に甘えることをやめられない。それなら、と。彼女は私の肩を掴んで引き剥がすと、再び手を取って歩き出した。
「ウラヌス。私はあそこへは――」
「城へ戻ろう。僕だって、君といれば安らげるけど。どうせなら、それなりの場所でそれなりのことをしたい。だろ?」
 慌てる私に少しだけ意地の悪い口調で言うと、彼女は優しく微笑んだ。
(2011/02/17)
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