728.号泣(蔵飛)
 蔵馬が、泣いていた。
 声を殺しているつもりらしいが、それでも嗚咽は漏れてくる。折角目を閉じたのに、瞬間だけ見てしまったその顔が頭から離れない。だからと言って、この場を離れる気にもなれない。
 黒い服に身を包み俺の知らない奴等と会話をしている姿は、いつもと変わらなかった。いや、寧ろ、いつも以上に穏やかに見えた。だから俺は。蔵馬もその時を待っていたのだと思った。人間として蔵馬を縛り付けているものからの解放を。
「飛影。いるんだろ」
 突然聴こえた、透る声。窓から部屋へ入ると、蔵馬は相変わらず机の上に組んだ手に額を乗せてはいたが、もうその肩は震えていなかった。
「悪趣味ですね」
「貴様に言われたくはない」
「それもそっか」
 溜息混じりに呟いた蔵馬は、顔を上げると微笑んだ。赤く充血した目を隠すかのように、目を細めて。
「魔界へ行こう。飛影も、それを望んでるみたいだし」
 伸びてきた手が、俺の頬に触れる。貼り付けたような笑顔が、ゆっくりと近づく。
「馬鹿馬鹿しい」
 苛立ちに、俺は吐き出すようにいうと蔵馬の手を振り払った。無論、蔵馬の唇が触れる前に。
「俺はお前の哀しみの逃げ場じゃない」
「……そう」
 反論を、されるかとも思ったが。蔵馬はあっさりと頷くとまた微笑った。
「じゃあ、もう少しこのまま居ようかな。……待っててくれますか?」
「人間界に残るのも魔界に来るのもお前の勝手だ。俺には関係ない。……ただ、魔界に来るのなら、その辛気臭さだけはどうにかしてからにしろ。目障りだ」
「目障り、ね」
 繰り返す蔵馬に失言だったと気付いたが、俺に向けた微笑みがいつものそれになっていることを知り、短い溜息を吐くだけに留めた。蔵馬の手が、再び俺に伸びてくる。
「でも、今だけは。この一瞬だけ、あなたを逃げ場にさせてください」
 頬に触れた手がそのまま背に回る。思わず身構えたが、蔵馬の唇は俺の横を通り過ぎ、耳元で止まった。触れ合う頬が、僅かに濡れる。それでも声を上げない蔵馬に、自分で拒んだことなのに、胸が痛んだ。俺の前でくらい声を上げて泣けばいい、と。
「……ごめん。それと、ありがとう」
 数分もせずに蔵馬は囁くと、体を離した。頬には涙の跡が残っていたが、その目から新たに零れてくることは無かった。
「もう、行ってください。あなたがいると、甘えてしまいそうで。オレは、大丈夫ですから」
 普段甘えない奴が甘えたいと思う時点で大丈夫ではない気はしたが、無理に微笑う蔵馬に、俺は黙って頷くと踵を返した。窓枠に手を掛け、振り返る。
 何かを、言うべきなのかもしれないという思いはあったが、変わらず俺を見つめている蔵馬に告げるべき言葉など何も無かった。待っている、と、互いに分かりきっている想いは、今ここで言葉にすべきではない。
「じゃあ、また」
 部屋を去る切欠を失った俺を後押しするように、蔵馬が小さく手を振る。
「……フン」
 言葉を持たない俺は、しかめ面を返すと、今度こそ辛気臭い部屋を後にした。
 
(2011/03/31)
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