737.当たり障りのない(蔵コエ)
「依頼料」
「誰が払うか」
「ボランティアのつもりはありませんから」
 微笑みとは反対にきっぱりとした口調で言うと、蔵馬は分厚い報告書を差し出した。それを受け取れば報酬を支払わなければらなくなるが、受け取らないわけにもいかない。
 魔界とのトンネルを開いていく上で、既に人間界に溶け込んでいる妖怪の所在を把握しておくことは必要だ。
 彼らの殆どは、自分が妖怪であることを人間に知られたくないと思っている。それを知らずに人間界にやってきた妖怪が、彼らの正体を暴いてしまうとも限らない。対処法はこれから検討するにしろ、やはりこの報告書は何を要求されたとしても受け取らなければなるまい。
「足元見おって」
「違いますよ。分かっているでしょう?」
 分かっている。この関係を特別なものにしないための取り引きだということくらい。
 だからこそ報酬を渡したくはないということを、蔵馬も分かっているはずだ。それでも報酬を要求するということは、それ自体がこの積年の想いに対する蔵馬の変わらぬ答えなのだということも、分かっている。
「まぁいい。どうせお前の要求なんて、ワシからしたらはした金に過ぎん。何が望みだ?」
 けれどワシは相変わらず、遠まわしな蔵馬の答えには気づかないフリをする。そのことにも、恐らく蔵馬は気づいているだろう。
「そうですね。じゃあ、今回は――」
 しかし蔵馬も相変わらず気づかないフリで、ワシへの要求を出した。本当に、はした金にもならない請求。この報告書を仕上げるのに蔵馬が要した労働力とはどうしたってつり合わない。
 だがワシは何も言わず蔵馬からの請求を受け、後日それを届けると約束をし、蔵馬を人間界へと帰す。今日も引き分けだったな、と。小さくなってゆく蔵馬の背中に呟いて。
 そう、これは、何十年も続けられているくだらないゲーム。総てのことに気づきながらも、何一つ気づかないフリをして。ただ、当たり障りのない関係をひたすらに積み重ねていく。それだけの、くだらなくも大切な、恐らくは終わりの来ないゲーム。
 それでもまだ、この関係すら保てなくなるよりはマシなのだろうと、今日も自分を誤魔化して、ワシは報告書を一枚、めくった。
(2011/05/03)
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