753.ナプキンをつけて待つ(不二榊)
 鼻歌交じりの後ろ姿をぼんやりと眺める。どういう風の吹き回しなのか、今日は彼が夕食を作ると言い出した。それなら私が帰ってくる前に作っておいてくれればいいものを、今から作ると言うので気が気ではない。
「大丈夫か?」
「大丈夫。これでも僕、母さんたちの手伝いはしてる方だから」
 家庭科の授業で作ったというエプロンを身につけ、包丁を片手に私を振り返る。味付けだけ彼にさせて、それ以外は私が総てやってしまいたい衝動に駆られる。だが、先ほど彼の背後に立った時のことを思い出し、私はなんとかその衝動を押さえ込んだ。
 包丁の刃の触れた感触が、首筋に甦ってくる。
「信用してください」
 彼の目がゆっくりと開かれる。そこには少なからず怒気が含まれていて、私は仕方がなく咳払いをすると読みかけの文庫を再び開いた。
 耳を澄ますと、思ったよりも安定した包丁の音が聞こえてくる。それでもどうしても心配してしまうのが、彼が子供だからなのか、それとも。
 母親以外の誰かが私に手料理なんて。初めてかもしれないな。
 金に困ったことのない私は、今まで付き合ってきた者たちと外食ばかりしてきた。たまに家で食事をすることもあったが、私自身が料理好きということもあり自分で作っていた。彼女達もそれに甘えて、自ら作ると言い出すこともなかった。
「色々な意味で、本当に、初めての相手だな」
 顔をあげ華奢な背中に呟くと、これ以上彼を苛立たせることのないよう、私は大人しく目の前の文字に集中することにした。
(2011/03/10)
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