781.空の鏡(蔵飛)
 目を閉じ、深呼吸をする。張り詰めていた空気を解くと、それだけでオレの体は容易く変化した。露出した肩を、さらりとした髪が撫でる。
 泉に映る自分の姿を見て、まるで月を見ているようだと、遥か昔誰かに言われたことを思い出す。銀色の髪も、黄金の瞳も、どちらも月を示す色だ。
「狐も満月になると化けるんだな」
 背後から聞こえた声。振り返るよりも早く、泉に彼の姿が映る。
「まさか。偶然日時が重なっただけだ」
 反転している彼と目を合わせると、その顔が歪んだ。何処かで魚でも跳ねたのだろう。
「飛影」
「気が済んだだろう。早く戻れ」
 たった数分、妖狐になっていただけでオレの中の野性が消えるはずもないことは彼も承知しているだろうが、いつもこうして邪魔をする。魔界で共に暮らすことを望んでいるのに、妖狐であるオレを認めようとしない。
 彼が南野を好いているのは分かる。だが、この姿も蔵馬であることには変わりない。
 それでも。深呼吸をすると、オレは体に緊張を纏った。バイオリズムの影響を受けた時は、意識の置き方が普段とは逆になる。今は、気を緩めると妖狐に戻ってしまう。
「……今日も、激しくなりますけど」
「背中が痛くなるのはゴメンだ」
「じゃあ、帰りましょう」 
 明日からまた南野として生活するために、今夜中に沸き起こる衝動を総て消化しなければならない。
 彼はオレが妖狐になることを邪魔する代わりに、それに協力する。性交という形で。
 衝動に任せて抱くというだけならまだ彼の体を気遣えるが、途中で変化しないよう意識を自分に向けていなければならないから、どうしても扱いが乱暴になる。それが嫌でこうして人里離れた場所でやり過ごそうとしたのだが。
「どうした。明日は会社なのだろう?」
 いつまでも歩き出さないオレに、彼が振り返る。
「そうですね」
 頷いたオレは数歩彼に向かって進んだところで、背後に浮かぶ月を振り返った。
 オレと同じ色を纏う月。それなのに。
 初秋の風を受けたそれは、柔らかくあたたかい光を地上へと届けている。しかしオレは。残忍な衝動しか彼に与えられない。
 嘘吐き。
 最早誰のものかも思い出せない過去の響きに、悪態をつく。
「蔵馬」
「今、行きます」
 深呼吸を一つして沸き起こる感情を無理矢理押し込めると、今すぐにでも押し倒してしまいたい小さな体をゆっくりと追った。
(2011/08/29)
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