812.自己抑制(はるみち)
「私、何か間違えたかしら?」
 美しい音色を奏でていた弓を止めると、彼女は僕に視線を向けた。何。聞き返す僕に、綺麗な指が伸ばされる。
「だいぶ険しい顔をしていたわ」
 指先が眉間に寄った皺を伸ばす。その感触に、無意識にこめられた顔の力を抜くように溜息を吐いた。彼女の手をとり、微笑んでみせる。
「安心して。君の演奏は完璧だった」
「じゃあどうしてそんな顔をしていたの?」
「僕が、未熟だっただけだよ」
「未熟?」
「君が、さ……」
 触れていただけの指先を絡め、引き寄せる。バランスを崩した彼女に、椅子から僅かに腰を浮かすと唇を寄せた。
「はるか?」
「ヴァイオリンを弾いている君の姿が、あまりにも美しいから。衝動が、さ。やっぱり、僕はまだまだ未熟だな」
 腰を落とし、名残を惜しむように指を離す。苦笑する僕に、彼女は暫く表情を固めていたけれど、僕がしたように溜息を吐くと綺麗に微笑んだ。
「そんなの、我慢しなくてもいいのに」
「だって迷惑だろ? 練習になりやしない」
「でも。それでいいの」
 ヴァイオリンをケースに置き、僕に再び手を伸ばす。その指先は眉間ではなく、唇の形をなぞるように触れた。笑みが、挑発的なそれに変わる。
「君は、随分と意地が悪いな」
「そうかしら?」
「そうだよ」
 笑いながら、彼女を僕の膝へと座ら抱きしめる。首筋に唇を落とすと、それに、と彼女が楽しげに呟いた。
「本気で練習がしたくなったら、貴女をこの部屋から追い出すだけだわ」
「……本当に、意地が悪い」
「そうかもしれないわね」
(2011/01/28)
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