813.窮鳥懐に入らばこれを撃たず(はるか)
「どうして助けたのですか」
「君が助けを求めてきたんだろ」
 肩を押さえ辛そうに喘ぐ女に、目を合わさずに答える。助けたと言っても、敵の目を眩ませ近くの洞窟に身を潜めただけだ。いずれ見つかってしまうだろう。
 僅かな延命。ならばいっそのこと、苦しまないよう僕の手で殺してやるべきかなんて、馬鹿な考えが一瞬浮かぶ。
「私を助けても何もいいことなど」
「元々アイツは敵だ」
「私も敵です」
 外を見つめたままの僕に、先程まで肩で息をしていたとは思えない厳しい声が飛ぶ。驚いて見つめると、女の目には殺気にも似た感情があり、思わず苦笑した。
「でも君は、僕に助けを求めてきた」
 深手を追わせることは出来なかったものの、僕たちの勝負は殆どついていた。力の差を思い知った女はその場から逃げ出そうとし、直属の上司であろうヤツに見つかった。
 ソイツは僕の目の前で女を殺そうとした。他の部下に対する見せしめだったのかもしれないし、僕に対する威嚇だったのかもしれない。ソイツは一度では女を殺そうとせず、自分の残忍さを見せ付けるようじわじわと痛めつけていった。
 やがて肩に食らった一撃で、女が倒れる。千切れ飛んだ右腕は僕の足元に転がり、それを追った女と視線がかち合う。タスケテ。女はそれまで僕に向けていた冷徹な声からは想像もつかないほど、温度のある弱々しい声で呟いた。
 助けて。繰り返すその後ろで、ソイツが再び攻撃の構えを取る。瞬間、僕は地面に向けて技を放っていた。巻き起こる砂埃の中、女の左手を掴み、駆け出す。
 どうしてそんなことをしたのか。助けて欲しいといわれたから。本当に、それ以外の理由は無い。多少付け加えるのなら、既に女は僕の目的遂行の妨げにならないだろうことが分かっていたからだろう。
 僕たちセーラー戦士は非情な殺戮マシンではない。目的のためには手段は選ばないし、どんな相手だろうと必要とあらば殺めるが。必要のない命まで奪う趣味は無い。
「助けを求めたのはアナタを殺すための作戦かもしれませんよ」
「元々勝負はついてたんだ。ましてやそんな怪我を負った相手に、例え不意をつかれたとしても負けはしないさ」
 手を伸ばし、右手の隙間から零れる女の血に触れる。紫色をしたそれは、女が地球人ではないことを物語っている。だがグローブ越しに伝わってくるその温もりは。僕の中に流れているものとなんら変わりは無い。
「もし、逃げ切れたら」
「えっ」
「アイツから逃げ切ることが出来たら、君はどうする」
 何を言っているのだろう、僕は。例え上手く逃げ切れたとしても、その傷では何日も生きられないだろうことは分かっているのに。
 これはただの慰めなのか。それとも、人間ではないことに僅かな望みを託しているのだろうか。いいや、きっとそのどれも違う。
「分かりません。もしかしたらまた人間を襲うかもしれません」
「何故」
「私はそのために生み出されたのですから」
「別に、だからってそうしなければ死ぬわけじゃないんだろ」
「そうですけど」
「だったら、他にやりたいことを探せばいい。まずは、探すために生きればいいさ」
 馬鹿げた話だ。自分に出来やしないことを、敵だった女にやらせようとするなんて。
 結局自己満足でしかないのだろう。僕は自分の手を汚したくなかった。見殺しにする罪悪を減らしたかった。運命から逃れた女に自分を重ねて、その気になれば自分も同じことが出来るのだと思いたかった。
 そんな僕の卑怯さの犠牲に、女は痛む体を引き摺っている。あのままアイツに殺されていれば。苦しむ時間は多少短かっただろうものを。
「アナタはどうしてそんなに」
「尤も、この場を凌げればの話だが」
 痛みじゃない感覚で顔を歪める女の話を打ち切り、いびつに切り抜かれた緑を眺める。目を凝らせば、木々の間で揺れる人影がそこにはあり。
「来た」
 腕を伸ばし女の体を壁に押し付けると、自分も壁に背中をピタリと合わせた。こうしておけば僕たちの姿は影に紛れ、かなりの距離まで近づかなければ見つかることは無いはずだ。
「勝ち目は」
「どうだろうな。相棒が居れば何か策もあるだろうが。生憎、彼女がここに着くまでにはもう少し時間がかかりそうだ」
 女との戦闘時には感じることが出来なかったみちるの気配を、強く近くに感じられるようになった。きっと変身した僕のエナジーを感じ、同じように彼女も変身して僕を探しているのだろう。
 本来なら、通信機を使いたいところだが。アイツが近くにいるせいであまり声をあげられない。それに、もし何かしらのノイズをキャッチする能力でもあれば、僕の居場所だけでなく、彼女の存在までもバレてしまう。
「逃げてください」
「何」
「私が囮になります。その間にアナタはその相棒とやらと合流してください」
 冗談だろう。驚く僕に、女は洞窟の向こうを真剣な表情で眺めていた。その目は、僕に攻撃を仕掛ける際のそれと同じだった。
 本気なのか。
「そんなことをしたら君は」
「元々アナタに倒される命だったのです。それを僅かであれ。アナタは私に自由に思考する時間を与えてくれた。それだけで充分です」
 視線を僕へと移し、言い放つ。殺気にも似た、方向の異なる感情。僕は、もうそれに苦笑することが出来なかった。
「そんな。それじゃあ僕は何のために」
「アナタは何を犠牲にしてもこの世界を守るのでしょう」
「それは必要な犠牲だけだ」
 殺したくて、殺しているわけじゃない。
「君は、殺す価値に値しない」
 そう判断したから、僕は彼女を助けた。そのはずだ。ただの同情で手を差し伸べるほど、僕はお人よしではない。戦士として、あってはならない。
「私の犠牲はアナタが勝利するために必要なものです」
 だがそれは、絶対に必要だと言うわけではない。一度引き、みちると落ち合い体勢を整えれば勝てる戦いだ。ただ、彼女がこの女を赦すかどうかは、分からないが。
 それでも、賭けてみる価値はある。彼女はもうかなり近くまで来ている。もう一度だけアイツの目を眩ませることさえ出来れば不可能ではない。
「来ます。逃げてください。このまま二人して死んだのでは意味がありません」
「しかし」
 抗議の声を上げようとした唇を、温もりに塞がれる。呆気に取られる僕に、女は脂汗を浮かべたまま気丈に微笑んだ。
「やりたいことを見つけたのです。まさかそう生きろと教えてくれたアナタが、私の想いを踏みにじるなんてことはしませんよね」
 女の手に、エナジーを固めて作った槍が現れる。それの破壊力などたかが知れていたが、もう僕を見ていない女の横顔に何も言い返せない。
 外から咆哮が聞こえてくる。構えた女のエナジーを感知したのだろう。目を凝らさなければ見えなかった姿も、今は色形をはっきりと確認できる。
 ソイツはすぐにでも攻撃できるよう、片腕を突き出し、広げた掌を光らせていた。こんな状態じゃ、返り討ちにあうことは必至。自殺行為だ。しかし、気配を悟られてしまった以上、進むしかない。
 だが。本当にそれしか道は無いのだろうか。何か見逃してはいないか。僕のとるべき道は、他に。
「行きます。アナタは私と逆の方向に」
 待て。言おうと口を開いた時には、既に女は駆け出していた。向かう敵の咆哮にも負けない雄叫びを上げながら進んでゆく背中に、こんなことをすれば気づかれると分かりながらも叫ぶ。
「すぐ、戻る。絶対に戻る。だから、それまでは」
 死なないでくれ。  最後の言葉が、轟音にかき消される。直前の言葉ですら、届いていたかどうかは分からない。それを確認する間もなく、僕は女とは逆方向へと駆け出していた。それでも、駆け出す僕に背後で女が微笑んだように思えたのは、僕の感情が生んだ幻などではないと今でも信じている。
(2011/09/02)
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