815.シグナルグリーン(はるせつ)
 荷物を投げ出し、糊の利いたシーツの敷いてあるベッドへと体を投げ出す。きっと今頃、はるかとせつなもベッドの上にいるのだろうと思うと、胸が苦しくなる。
 けれどこれは自分でオーケィしたこと。それも、躊躇うせつなの背中を押してまで。
「バカなのかしら……」
 けど、。恋愛の情と、家族の情を秤にかけることなんて、きっと。私には出来ても、はるかには出来ないだろうから――。

「――え?」
 せつなの言葉が聞こえていなかったわけでも、理解出来なかったわけでもなかったが、はるかは思わず聞き返した。変わらず真剣な眼差しを向けるせつなが、小さな溜息のあとで、同じ言葉を繰り返す。
「私を、抱いてください」
 せつなが、時空の扉の門番へと還ることになった。
 ほたるは既に土萌氏の元へ返し、それから約一年、これと言った戦闘も無かった。そのため、せつなも、もう現世に留まる必要はないと判断したのだった。
 折角生まれ変わったのだからと引き止めるはるかとみちるの言葉は、聞き入れなかった。
 ただ、最後の願いとして、一日、はるかと二人だけにして欲しいと告げたのだった。
「時空の扉に戻れば、孤独な日々が続きます。その前に、一日だけで、一瞬だけで良い。誰かに愛されてみたいのです」
「その、相手なら。僕じゃなくて、衛さんに」
「うさぎさんと無事結ばれることが出来た衛さんが、例え同情とはいえ私に付き合ってくれると思いますか?」
「……じゃなくても、君ほどの美貌があれば、男なんて幾らでも。……分かってるだろうと思うけど、僕はこれでも一応、女だぜ?」
 少しずつ距離をつめてくるせつなに、少しずつ後ずさりながら、はるかは言った。その脳裏には、みちるの顔が張り付いて消えてくれない。
「分かってます。分かった上で、私はあなたにお願いしているんです」
「けど、僕にはみちるが……」
「みちるは。私の願いを恐らく理解しているのでしょう。その上で、だからこそ、今夜はホテルをとった。はるかと二人だけになるのなら、別にみちるが出て行かなくても、私たちが出かければ済むだけの話だったのに」
「そんな」
「何の不思議はありませんよ。だって、みちるも私も、同じ。あなたの妻なのですから」
 壁に背をつけたはるかの頬に手を添え、触れるだけの口付けを交わす。僅かに体を硬直させたはるかに、せつなは哀しげな微笑みを浮かべた。
「最初は、ほたるの母親役だけを請け負うつもりでした。ですが、ともに生活していくうちに、ほたるの父親役であるあなたに、私は……。例え同情でも、あなたの優しさは私には幸福過ぎました。いつからか、あなたとみちるのやりとりを羨ましく思うようになって。知らなかったでしょう?」
 知らなかった。答えようとしたが、衝撃が大きすぎてはるかは何も言い返せなかった。出来たことといえば、僅かに頭を上下に振ることだけ。
「同情でもいいんです。その優しさを、私の体に刻んで欲しいのです。孤独な世界を永遠に生きることを義務づけられた憐れな女の、儚い夢として。抱いてはくれませんか?」
 表面上はいつもと変わらない穏やかな口調、なのに、はるかを見つめるせつなの目は僅かな刺激を与えればすぐにでも雫を溢してしまいそうで。
 暫く黙ってせつなを見つめていたはるかだったが、意を決したように頷き、飲み込むことを忘れていた唾液を嚥下すると、せつなの長い髪へと手を伸ばした。


「はるか……」
 これでよかったのだと、自分に言い聞かせ、寝返りをうつ。視界の片隅に移った窓から見える月に、ほんの少しだけ憎しみを抱く。
 けど、これ以外の選択は考えられなかった。私が、せつなとはるかを二人だけにすることに難色を示せば、せつなだけが傷を負う。けれど、この方法なら、3人が傷を負うことになる。それは数字を見れば最悪の選択にも思えるけれど、他人の倖せのためには傷つくことを厭わなかった私たちにっては最良の選択。少なくとも、私はそう信じている。
 信じている。はず、なのに。
「はるかっ」
 絡み合う二人の姿を想像しては、言葉には出来ない苦しさに、私はただ、こんな運命を仕組んだ月を睨みつけることしか出来なかった。
(2011/07/01)
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