917.華麗なる大転倒(はるみち)
「はるかっ!」
 バンとでかい音を立てて控え室の扉が開く。廊下に響くヒールの音は聞こえていたけれど、そんな風に血相を変えて現れるとは思っていなかったため、顔を上げた僕は微笑みかけるのを忘れてしまった。
「救護室に行ったら誰もいなかったから。大丈夫なの?」
 周りにスタッフがいるのも構わず、みちるは駆け寄ると僕の手を掴んで全身を見回した。そこでようやく、僕の顔に笑いが浮かぶ。と言っても、それは苦いものだったけれど。
「大丈夫だよ、みちる。ちょっとしたパフォーマンスさ」
「ちょっとした、ですって?」
「華麗なる大転倒ってね」
 バイクの練習中、障害物を飛び越えた僕は着地に失敗し、転倒した。タイヤを滑らせたバイクはコースから外れ、僕の体は横に回転しながら数メートルコースを走った。駆け寄るスタッフに抱えられ立ち上がる。ヘルメットを取り、観客に笑顔を見せ、退場。
「何をバカなことをいっているの!」
「だから、パフォーマンスだって言ってるだろ」
 立ち上がり、両手を広げる。無傷であることを改めてアピールしたけど、それでも彼女の目はきつく僕を睨みつけていた。
「怒るなよ、みちる。今日のは本当にパフォーマンスなんだって。バイクスタントの練習さ」
「……スタント?」
「そう。今頃スタッフが僕の走りを観に来てたフリークの子たちに説明をしてるはずだよ。君のことだからどうせ、僕が退場した後、なりふり構わず走ってきたんだろ?」
 なだめるように彼女の肩に手を置き、落ち着いたトーンで言葉を続ける。まだ肩で息をしている彼女は、それでも吊り上げていた眉を下げてくれた。それを見てか、じゃあ後で、と小さく声をかけ、部屋にいた数人のスタッフが控え室を出て行く。
「本当に、わざとなの?」
「みちる。僕が練習でも手を抜かないのは知ってるだろ? あの程度の障害物で転倒なんて、誰かに仕掛けられたとしても絶対にしないさ」
「……そう。そうなの。わざと」
 笑いかける僕に、彼女はぼそぼそと言葉を吐くとしなだれかかってきた。慌ててその体を支え、さっきまで自分が座っていた椅子へと座らせる。
「でも、だったら教えてくれれば」
「今日君が観に来てくれるなんて知らなかったからさ」
「だとしても、そんな危険なこと」
「だからだよ。予め教えてたら、君はきっと止めただろうと思ってさ」
 当たり前だと声を荒げられるだろうと思ったけれど、彼女は、そう、とだけ言って溜息をついた。よかった、と、膝に肘を乗せ、組んだ手の上に額を重ねて呟く。その力ない姿に、僕は笑みを消した。組んだ手が、僅かだか震えている。
「……すまない。まさかそんなにも君が動揺するとは思わなくて」
 跪き、彼女の手に触れる。顔を上げた彼女の目は、幾らかにじんでいるように見える。
「本当は、怒りたいの。私に何も言わず、そんな危険なことをするなんて。貴女を、叱らないといけないって思ってるのに。……良かった。はるかが無事で」
 揺れる声。その肩を抱き寄せようと軽く手を引くと、そのまま彼女が飛び込んできた。予想もしていなかったことに、僕は強かに背中を床に打ちつけたけれど、痛みのせいだけじゃなく何も言葉に出来なかった。
 僕の胸に顔を埋める彼女の肩が、不規則に震える。髪をすくと、顔を上げた彼女の唇が僕の唇に触れた。
「ごめん」
「許さないわ」
「みちる」
「許さない。帰ったらお仕置きよ」
 もう一度口付け、潤んだ瞳で彼女がようやく微笑む。僕も頷いて微笑み返す。
 起き上がろうと背を軽く叩くと、彼女は嫌々をするように首を横に振ったけれど、僕は強引に体を起こした。不満げな彼女に、手を差し伸べる。
「君の怒りが静まる前に、早く帰らなくちゃ。だろ?」
 不満げに僕の手を見つめていた彼女だったけれど、僕の言葉に、そうね、と頷くと、僕の手にそっと触れた。
(2011/07/27)
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