948.オモチャ箱をひっくり返したような(外部ファミリー)
「……またか」
 物音に駆けつけると、ほたるが肩を震わせて泣いていた。部屋の中はオモチャ箱をひっくり返したような、なんて表現じゃ足りないほどに荒れている。
 廊下から入り込む光に照らされているのは、この間ほたるにせがまれクレーンゲームで落とした、巨大なぬいぐるみ。今にも首が千切れそうなそれを抱き上げると、共に駆けつけたせつなにそれを渡した。ほたるが気づく前に、繕わなければ。口にはしなかったけれど、意図を察したせつなは頷いてリビングへと消えた。
 続いて、みちるにも目配せをする。でもと言いたげに口を開くみちるの唇に人差し指を押し当てる。明日、というよりもう日付が変わっているから今日だけれど、みちるはコンサートのリハーサルがある。それ自体は昼過ぎからではあるけれど、夜遅くまでかかるため、前日は充分な睡眠をとるように心がけていたはずだ。
 大丈夫だから。微笑んで肩を叩く。ゆるゆると首を振るみちるの耳元で、おやすみ、と囁く。それでも暫く心配そうに僕を見ていたけれど、やがて小さなため息をつくと部屋へと戻っていった。
 静まり返った廊下。聞こえてくる嗚咽に、再び部屋へと足を踏み入れる。静かにドアを閉めると、窓から差し込んでくる月光が際立った。そういえば、今日は満月だったな。
「ほたる」
 幾ら優しく呼びかけても、悪夢を視、力を暴走させた後は必ず体をビクつかせる。そして、ごめんなさい、と視線を落としたまま呟く。僕たちの睡眠を妨げてしまったこと、部屋を荒らしてしまったこと、そして、過去に地球を危機に陥れようとしたことについて。ごめんなさい。言葉にすればたった一言なのに、その意味は、僕なんかでは受け止められないほどに重い。
「明日は学校だ。目を腫らしていくつもりかい?」
 ベッドに座り、小さな体を抱き寄せる。ようやく顔を上げたほたるの涙の跡を指先で拭って微笑むと、ほたるも弱々しく微笑み返した。しかし、その表情は自分の内から出たものではなく、僕を気遣っての大人びた微笑だった。愛おしいと心から思う。
 本当に、いい子だ。無知で純粋というわけではない。聡明でいて、けれど擦れたところが無い。こんな子を、僕は殺そうとしていただなんて。
「はるかパパ」
「悪い。少し、そっちに寄ってくれるかな。これじゃあ、僕がベッドから落ちちゃうよ」
 毛布をめくり、滑りこむ。一度は端に寄ったものの、横になった僕を見てほたるがまたもぞもぞと近づいてきた。手を伸ばし、髪を梳くように頭を撫でてやる。
「ごめんなさい」
 僕を見つめ、ほたるが呟く。その言葉になんて返したらいいのか、僕は未だに分からない。だからいつも曖昧に微笑んで誤魔化してしまう。大丈夫だから、と意味の無い言葉を呟いて。
 ごめん、ほたる。
 何もしてやれないことに。それどころか、受け止めることすら出来ないことに。そして、一度は殺そうとしたことに。内心で、謝る。赦して欲しいわけではないから、言葉にすることは出来ないし、する気もない。それに、伝えたとしても、ほたるの罪悪感を重くしてしまうだけだ。
「寝よう。ほたるがちゃんと起きてくれないと、僕まで寝坊することになる」
「自分で起きてよ」
「ほたる目覚ましセット。8時、と」
 カチカチと声を上げ、目覚まし時計をセットするつもりでほたるの頭を軽く叩く。
「パパぁ」
 不満げな声を上げながらもようやく感情で笑ってくれたほたるに、僕の感情も柔らかくなる。
「ほたる」
 おやすみのキスを特別に唇に渡し、僕も心からの笑みを見せる。
「ほら、寝た寝た」
 呆然とするほたるの瞼を下ろすよう、手で撫でる。
「おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
 素直に目を瞑ってくれたことを可愛らしく思いながら、視界の片隅にずっとあった満月を睨みつける。僕たちを護ってくれるはずのそれは、あくまでも柔らかい希望の光を放っている。
 どうすれば。
 問うべきものが多過ぎて、それだけしか言葉にならない。もどかしさに眉間の皺が深くなっていく。
 それでも、なんとか。せめて、ほたるの問題だけでも進展させようと思考を巡らしてはみたのだが。連日の寝不足と小さな温もりのせいで、僕の瞼は夜明けを待つことなく、降り注ぐ月光を遮断した。
(2011/09/08)
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