967.頑張りたくない瞬間(外部ファミリー) |
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「ほたる」 ドアを開け、呼びかけてからノックをする。パパの悪いクセだと思う。別に見られたらいけないことなんてしてはいないけれど、それでも心の準備というものは必要。だって、パパはパパでも、やっぱりパパじゃないんだし。 「なあに、はるかパパ」 読んでいた本に栞を挟み、深呼吸をしてから振り返る。私と目を合わせたパパは軽く眉を上げると部屋に足を踏み入れた。ドアを閉め、湯気の立つトレーをテーブルに置く。部屋に広がる、ジャスミンの香り。多分、これはせつなママからのもの。 「勉強、進んでるかい?」 「せつなママに出された宿題は終わったよ。学校の宿題も」 学習机の灯りを消し、パパの向かいに座る。カップと一緒に置かれているクッキーはきっと、みちるママだ。 「宿題をやったらもうおしまいかい?」 「だって他に勉強することないもん。学校の教科書は、ほたる全部分かるよ」 「そうだったね。……授業は退屈?」 「学校は面白いよ。みんな、パパたちとは全然違う見方をするの。子供らしいっていえばそれまでなんだけど。見ててとっても面白い」 「見てて、か」 呟くパパに、まずいことをいっちゃったと思った。でもパパはそれ以上追及しないで私を手招いた。立ち膝で近づくと、わきの下に手を入れられ、胡坐をかいたパパの左膝へと乗せられた。 「みちるママに見つかったら怒られちゃうね」 「ほたるが黙っててくれれば、怒られないさ」 微笑みながら、髪をやさしく撫でる。 まだ眠るには早い時間なのに、パパの温もりに少しだけ眠くなった私は、その肩に頬を寄せた。目を閉じて、ゆったりとした呼吸を繰り返す。 「僕も、どうでもよくなったことがあったな。といっても、ほたるみたいに頭が良かったわけじゃないから、専らスポーツに関してだけど」 心地良く体に響く、パパの低い声。遅れて頭に入ってきた内容に、パパも私と同じだったのと聞き返そうとしたけれど、反応が遅かったから、パパは次の言葉のために息を吸い込み始めていた。 「自分は何でも出来るって、最初は自惚れたさ。それから、虚しくなった。どんなスポーツをしても、結果は同じだったからね。何に対しても、夢中になれなくなった」 「でも、パパは今、モータースポーツに夢中になってるでしょ。その前は陸上だったし」 「陸上だってフリさ。モータースポーツは、そうだな、競う相手が他人じゃなくなったからな。今は毎日、自分の叩き出したタイムとの戦いさ。ほたるは、クラスメイトよりも勉強が出来れば満足? もっと知りたいっていう気持ちはない?」 「……分からない」 知りたいことは、もうほとんど知り尽くした気がする。 だってせつなママは毎日、生きてゆくのに必要ないと思う知識まで私に教えてくれたから。それに、私の出した疑問にも次の日までにはちゃんと調べて答えをくれたし。 本当は、もう少し世界を広げれば、知りたいことは沢山出てくるんだって分かってるけど。今のままでも、多分、大丈夫だから。 「ほたる、さっきまで本読んでただろ」 黙りこんだ私に、パパは仕切りなおすような少し高いトーンで言った。 勉強をサボっていたことを叱られるわけじゃないって分かっていても、後ろめたさが少しだけあったから思わず身を固くする。それに気づいたパパは小さく笑うと、私の頭をやさしく抱き寄せた。手の中で、小さくに頷く。 「どうして?」 「えっ?」 「もう知りたいことはないんだろ?」 「それは。だって……」 「小説の中の世界を知ったからって、生きていくのには役に立たないぜ? もちろん、学校のテストにだって出ない。でもほたるは知りたいんだ。本に描かれている、体験することのないファンタジーの世界を」 いわれてみれば、そうかもしれない。今読んでいる本はライトノベルで、地球人が迷い込んだ異国の星で平和を守るために戦うというものだけれど、読んだからといってテストにその星の文化について出るわけじゃない。まして私たちセーラー戦士の戦いに役立つ戦闘法が書いてあるわけでもない。 でも、私は続きが気になって仕方がない。どうなるのか、その先を知りたいと思ってしまう。また、書いてある文章の行間を読んで、異国の地がどういう風景をしているのか、文化を持っているのかも必死に想像してしまう。 「まぁ、無理に勉強しろとは言わないさ。今のほたるの知識があれば、将来の選択肢は充分に開かれてるだろうし。……っと、ハーブティー、冷めちゃったかな」 またトーンを上げた声で言うと、はるかパパは体を少し傾けてテーブルにあるカップを手に取った。未だ立ち上る湯気に鼻を近づけ、それからカップに口をつける。 「はは、まいったな。せつな、もしかしたらこのタイミングで飲むように温度を調節してたのかも。どうりで、いつもと淹れ方が違ったわけだ。てことは、これ以上の話は、NGってことかな」 カップを置いて、クッキーに手を伸ばす。そのまま暫くパパの様子を見てたけど、これ以上話の続きをする気はないみたいだった。 私も、姿勢を真っ直ぐにして、カップに手を伸ばす。確かにパパのいうとおり、ハーブティーは丁度いい温度だった。少し香りが足りない気がするのは、きっと沸騰してすぐの湯で淹れてしまったからなのだろう。このタイミングで飲むと丁度いい温度になるようにするために。 「美味しいかい?」 「うん」 クッキーも一口かじる。美味しいのに、なんだか手が進まない。多分、三人の気持ちでお腹が一杯になってしまったからだと思う。 「なんかずるい」 三人で、こんな風に私を説得するなんて。 「ほたる? 泣いて」 「眠くなっちゃった」 覗きこんでこようとするパパから逃げるように大きな欠伸をして、その胸に顔を埋める。パパの手がくしゃくしゃと頭を撫でたので、また少しだけ涙が出た。 「……ごめんなさい」 湿り気を帯びたシャツに呟く。くぐもった声になったせいなのか、ん、とパパが聞き返してくるから、今度は少しだけ顔を離して言った。 「ありがとう」 「何?」 「せつなママのハーブティーと、みちるママのクッキー」 「ああ。伝えておく。でも、美味しかったのなら、後で自分で言っといで。そうしたらまた差し入れてくれると思うから」 後半は茶化すように言うと、パパは私の肩を押して、膝からおろした。足が痺れたのか、少し眉間にしわを寄せながら立ち上がる。 「パパ」 「ん?」 「パパも。ありがとう」 「僕は、二人に言われて運んだだけだから。お陰でおこぼれももらえたし」 カップの中身を一気に飲み干すと、パパは微笑った。私も飲み干して微笑う。 「おかわりは?」 「パパが持ってきてくれるなら飲む」 「了解」 私の手からカップを受け取ると、はるかパパは静かに扉を閉めて出ていった。 「もう」 呟いて、机の上の本を再び手にとってはみたけれど。開いたページはどれも文字が滲んでいて。 「こんなんじゃ、勉強だって出来ないよ」 再び閉じた本に悪態をついてみたけれど、それでも私の口元はどうしてか弧を描いてしまっていた。 |
(2012/04/22) |
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