「…また、新たな乾汁の開発かい?」
 突然、背後から声がしたため、オレは思わず持っていた瓶を落としてしまった。それごと、置きっぱなしになっていたコップの中に入る。
「………気配を絶って近づくなよ。悪趣味だぞ」
 溜息を吐き、コップの中身を流しに捨てる。いい出来だったのだが。不二の所為で台無しだ。
「捨てちゃうんだ」
「瓶ごと飲みたいのか?」
「ちょっと、勿体無いなって思ってさ」
 俺の正面に廻り、椅子に座る。不二は頬杖をつくと、楽しそうに微笑った。
「嘘を吐け。内心、ホッとしているんだろ?」
「嫌われるようなこと、好んでするなんて。変人だよね、乾は」
 指を差した俺に、指を差し返す。……まだ怒ってるんだな。ボーリングの時の、青酢を…。
「そんな変人に付き纏ってるお前は、何なんだろうな」
 不二の指を下に向ける。手を放すと、俺は片づけを始めた。不二が、小さく微笑う。
「何だ?」
「いや…乾のエプロン姿、可愛いと思ってさ。カメラ、持ってくれば良かったな」
「似合わないだろ?」
「そこが可愛いんだよ」
 どんな思考回路なんだか。
 衛生上(?)、家庭科室を使うときは、エプロンと三角巾の着用が義務付けられている。例え個人で使うとはいえ、それは校則。きちんと守らなければいけない。俺だって、出来ることなら、こんな似合わないものを着けたくはないのだが。
「というか、お前は何故着用しないんだ?」
「何が?」
「エプロン」
 指を差す俺に、不二はきょとんとした顔をした。そして暫くの後、声を上げて笑いはじめた。
「何が可笑しいんだ?」
「何だ。乾、それ好きで着てたんじゃなかったんだ」
「当たり前だろう?こんな似合わないもの…」
 溜息混じりに反論する。と、不二の笑いは治まるどころか、余計に酷くなっていった。
「……な、何が可笑しいんだ?」
「だって…。今時、そんな校則守ってる奴なんていないよ。授業ならまだしも」
 自分を落ち着かせるように何回か深呼吸を繰り返すと、あー笑った、と言って、不二はまた頬杖をついた。幼い子供を見るような眼で、俺を見つめる。
「いいんだよ。俺はお前と違って真面目なんだ」
「臆病なだけでしょ?」
「厄介事は嫌いなんだ」
「自分で起こしてるくせにね」
 零コンマ何秒もせずに返ってくる不二の言葉に、俺は口を閉ざした。それで勝ちだと思ったのか、不二は満足そうに口元だけを歪めて微笑った。
「乾汁なんて作って、何が楽しいの?」
 洗い終えた食器を拭いている俺に、頬杖をついたままで訊いてくる。その表情は、どことなく詰まらなそうに見える。
 ったく。やることが無いのなら手伝ってくれればいいものだが。まあ、それは仕方がないか。そんなことをさせると、礼として何を要求されるか解かったものではない。
 溜息を吐き、拭き終えた食器を両手に抱えた。不二に背を向けたまま、訊く。
「乾汁なんて飲んで、何が楽しいんだ?」
「別に。ただの好奇心だよ」
 また、即答。あらかじめ俺のいうことが解かっているのか、それともただ単に頭の回転が速いのか…。どちらにしても、不二の思考回路が悪魔のような構造をしているコトには変わりないが。そのあまりの返事の早さに、それに対してどう言葉を返したらいいのか、思いつかなかった。
 仕方が無いので、黙って食器を棚に戻す。
「で。乾は何でそんな嫌われるようなことを好んでするの?」
「……俺は嫌われてるのか?」
「乾汁が嫌われてる」
「でも、お前は好きなんだろう?」
「んー。嫌いじゃないよ。大好きな乾が作ったものだしね」
「ならいいさ」
「いいの?」
「お前が俺のことを嫌いにならないのならな」
 呟いたあとで。俺は、動きが止まってしまった。
 不二があまりにも普通に返してくるから。とんでもないことを口走ってしまった。ガラス棚に映る自分の顔が、驚くほど赤い。そのガラス越しに、不二を見る。不二は俺に背を向けたまま、変わらずに頬杖を吐いているようだった。多分、不二も普通の会話として流したのだろう。ホッとしたような、残念なような。
 まあ、こんな顔をしているのを見られたら、何を言われるか解かったものではないから、きっと、良かったのだろう。
 俺は眼を瞑ると、不二に気づかれないように何度か深呼吸を繰り返した。顔の熱が引いたのを感じて、もう一度、ガラスに映った自分を見る。大丈夫。元に戻っている。
 残りの食器を急いで棚に戻すと、俺は何食わぬ顔で不二の前に座った。
「そろそろ、ここを出ようと思うのだが…」
「食器片付けるのに、随分時間がかかるんだね」
 俺の言葉が言い終わるか終わらないかで、不二が口を開いた。俺を見つめるその顔は、とても嬉しそうで。俺は、さっきの言葉をしっかりと不二が受け止めたことを悟った。
 また、溜息が出る。
 そんな俺に、不二は、ふ、と微笑いかけると、立ち上がった。俺に背を向ける。
「……不二?」
「片付け、終わったんでしょ?早く部活に行こうよ」
「あ、ああ」
 床に置きっぱなしになっていたバッグを手に取り、不二の後を追う。鼻歌を口遊(くちずさ)みながら楽しそうに前を歩く不二に、俺は何故か嬉しい敗北感を味わっていた。




実は英二に乾汁の開発を阻止するように頼まれてたり(笑)
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