「部長になったんだってね」
練習を終え、戸締りをしようと部室に戻ったボクを迎えたのは、優しい笑みだった。
「あ…」
まさかこんな所に入るなんて思わないから、ボクは何も言えず、そのまま扉の所に立ち尽くしてしまった。
それを見た先輩が、クスリと微笑う。
「リョーマから聞いてね。キミの部長姿を見てみようかなって思って。うん。なかなか様になってたよ」
「……あ、ありがとうございます。」
返す言葉として、これが合ってるのか分からないけど。なんだか恥ずかしくて、ボクは頭を掻きながら言った。
「ふふ。ま、そんなところで立ってるのも何だから、とりあえず入りなよ」
って、ここはもう、僕の部室じゃないんだよね。苦笑しながら、先輩は手招きした。咳払いをし、青いベンチ、先輩の隣りに座る。
「どう?部長になってみて」
「……何か…何でボクなんだろうって。リョーマくんのほうが全然上手いし、相応しいと思うのにって……あっ。」
先輩の優しい言葉に、思わず出てしまった本音。言い終わった後で、ボクは慌てて口を噤んだ。ボク自身が『部長』に対して不満をもってたんじゃ、まとめられるものもまとめられなくなっちゃう。
「まあ、リョーマはね、部長には向かないよ。いくらテニスが上手くても、それだけじゃ部をまとめられないから。逆に言うと、キミなら部をまとめられるって思ったんじゃないかな」
「そう、なんでしょうか」
「そうだよ。もっと自信を持たなくちゃ。これからはキミが青学テニス部をまとめて行くんだから」
ボクの手をしっかりと握ると、先輩はじっと見つめて言った。その優しさと、距離の近さに、思わず顔が赤くなる。
「ん?」
「……ぁりがとうございます」
眼を逸らしながら、呟くようにして言う。先輩はクスリと微笑うと、いえいえ、と呟いた。ボクから、手を放す。
「さてっと。そろそろ帰らなきゃな」
立ち上がり伸びをすると、先輩は言った。開けっ放しになってる扉の、その向こうをじっと見つめながら。
「もう、ですか?」
「ん。また様子を見に来るよ。それに、あんまり遅いとリョーマが怒っちゃうしね」
「……ぁ。」
また、リョーマくん、か。
2年前から、ずっと変わりなく続いてるんだ。先輩とリョーマくんは。
いつだったか、先輩にテニスを教えてもらったとき。ボクは先輩のことが好きなんだって気付いた。それからずっと、先輩の眼に映るために、強くなろうって努力してきた。あの時の先輩の言葉を信じて。もしボクがリョーマくんくらいに強くなれたら、なんて。
でも、どれだけボクが強くなっても、先輩の眼にはきっと、ボクなんて映らないんだろうな。ようやくだけど、今、はっきりとわかった。
「……カチロー?」
ベンチに座ったまま先輩を見つめていると、急に振り返った先輩が顔を覗き込んできた。
「何でもない、です」
「そう?ならいいけど。キミは責任感が強すぎるから。部長だからって、あまり神経張り巡らせちゃ駄目だよ。手塚みたいに、眉間に皺が出来ちゃうから」
ボクの眉間を人差し指でつつき、クスリと微笑う。その笑顔に、ボクの胸は、もの凄く痛んだ。それと同時に、視界が滲んでくる…。
「え?何?泣いてるの?」
「………。」
言葉を発することが出来ず。ボクは俯くと、首を横に振った。
「何だか…」
溜息混じりの先輩の声。それと共に、ボクの頭には優しい重み。
「僕はキミを泣かせてばかりいるね」
「……ボクが、弱いだけです。先輩は悪くありません」
言いながら顔を上げると、頬を伝う涙を先輩の指が掬ってくれた。その手を掴み、先輩の眼を、じっと見つめる。
「でも。悪いと思うなら…」
落ち着け、と自分に言い聞かせる。これぐらいの緊張、乗り越えられなきゃ、部長として務まらない。
「もう一度、キスしてくれませんか?」