「明日、手術なんだってね」
 てっきり、真田だと思ってたから。聴こえてきた声に驚いて、俺は身体を起こした。
「……不二。」
 見舞いの花束を持ち、俺に優しく微笑いかける。一瞬、夢かと思った。不二が来るのはいつも、不動峰の部長への見舞いの後で。それも気まぐれ程度にしか訪れたことはなかった。当然、花なんて持ってきたことは一度もない。
「これ使っていい?」
 花瓶を指差す。2度目の声。やっぱり、これは夢じゃない…。
「ああ」
 俺の言葉に満足そうに微笑うと、慣れた手つきで花を活けはじめた。
 不二には花が似合うと思う。こんなこと、本人に言ってもあまり喜ばないと思うけど。だから、つい。花を活ける不二の姿に見惚れてしまって。
「……ん?」
「いや、何でもない」
「そう」
 俺は慌てて眼を逸らした。赤くなってしまった気がする。頬を両手で挟み、体温を確かめる。……大丈夫みたいだ。
「座っても?」
「ああ」
 頷くと、不二は棚に花瓶を置き、パイプ椅子を広げた。腰を下ろす。
 それにしても、会話がない。不二の方は気にしてないみたいだけど、この沈黙は俺にとっては少し、辛い。胸の鼓動が、部屋全体に響いてるみたいな気がして。何か話題を探そうと思うと、1人の人間しか浮かんでこない。それが俺にとって好ましい話題ではないことは明らかなんだけど。このまま、沈黙してるよりはいい。
「……不動峰の」
「ん?」
「不動峰の部長」
「ああ。橘?」
「彼のところには行かないのか?」
「もう行ってきた。けど、他の部員が見舞いに来ててね。彼の妹に、30分だけ暇を潰してくるようにって言われたんだ」
 訊くのでは、なかった。
「俺は暇つぶしってこと」
「結果的には、ね。でも、今日はちゃんと君のところに寄ろうと思ってたから。あ。花は橘にあげる予定だったんだけどね」
 楽しそうに言う不二を、少しだけ嫌になった。
 といっても、俺の気持ちを知らないわけだから、仕方がない。だが、不二ほどの人であれば、一番強い想いくらい見抜けないはずはない。そう思ったのは、俺の買い被りか。……それとも、気づいてないフリをしているだけなのか。
「そんなに気を落とさないでよ。明日は手術なんでしょ?」
 言うと、不二は俺の手を包むようにして握ってきた。驚いて。思わずその手を払う。その行動に、今度は不二が驚いたような顔をした。暫く手を中に浮かせたままだったが、それを自分の膝に戻すと、クスリと微笑った。
「……すまない」
 顔を背け、呟く。不二に対する申し訳なさと自分の頬の熱さで、その顔を見ることが出来ない。不自然にならないよう握られた左手を持ってくると、一瞬のその温もりを確かめるよう右手で触れてみた。けど、相変わらず、俺の手は冷たいままだ。
「そうそう。君に渡そうと思ってたものがあって」
 気を悪くしたのかと思ったが。不二は相変わらずの口調で言うと、着ていたジャージを脱ぎ出した。
「な、何を…」
「君に貸してあげる」
 ジャージを広げ、布団の上に掛ける。現れた白い肌に、眼を奪われそうになったが。今は、それ所じゃない。疑問符を浮かべた顔で見つめていると、不二は微笑った。
「明日、僕たち青学と君たち立海が当たるってことくらいは知ってるよね?」
「…あ、ああ。真田から聞いた。青学に勝って、全勝で俺を迎えに来るって」
 何をしてでも勝つ、と意気込んでいた真田の顔が浮かんでくる。何がなんでも、ではなく、何をしてでも、だ。心配なのは赤也だな。誰と当たるのか知らないけど、その誰かを、傷つけなければいいと思う。……その前に試合が終わってくれれば。
「残念だけど」
 呟くと、不二は立ち上がった。約束の30分にはまだ時間があるはずなのに。もう行くというのだろうか?
「勝つのは僕たち青学だよ。僕が切原に、越前が真田に勝って、ね。越前。判るかい?」
 ……越前?ああ。前に真田が言ってた。手塚が青学を託した1年か。彼が真田に勝って、不二が切原に…。切原…?
「……待って。君が当たる?赤也と?」
「そうだよ。彼には色々とお礼をしなくちゃいけないからね」
 珍しく蒼い目を見せると、不二は言った。強い意志。綺麗な眼。もしかしたら、などと一瞬心が揺らぐ。だが、それはない。
「そんな……。駄目だ。赤也は駄目だ。」
「大丈夫だよ。僕は、負けない」
「そうじゃない。例え赤也に勝つことが出来たとしても、君が無事でいられるわけがな」
「大丈夫。大丈夫だから」
 俺の言葉を遮るように言うと、不二は余裕の笑みを作って見せた。その笑顔に、首を振る。
「君は知らないんだ。赤也は、技術こそ真田には劣るが。彼の恐ろしさはそこじゃない。相手を潰そうとする精神にある。兎に角、赤也は危険だ」
 そこに彼の実力が加われば。どんなに天才的なプレイヤーでも、無傷でいられるはずがない。
「それ」
 久しぶりに大声を出した所為で息を切らしている俺に、不二は優しく微笑うと、掛けられたジャージを指差した。
「僕がなんで貸したか、理解る?」
「さぁ。君の考えてることなんて俺が理解るわけない」
 能天気すぎるほどの軽い口調。それが少し頭に来て、俺は考えもせずに答えた。それを見てか、不二が溜息を吐く。
「怒りは」
「?」
「怒りは、何よりも強い力を生む。それが不本意であっても、ね」
「……何を、言っているのか理解らないが」
「だから、そう言うこと。僕たちが勝ったら悔しいでしょ?次は君自身の手で僕たちから勝利を奪いたいでしょ?その気持ちで、手術を乗り切って欲しいんだ。だから、僕は負けないよ。どんなに傷ついたとしてもね」
「……勝つとか、負けるとか。俺の手術とか。そう言うことはどうでも良いんだ。俺はただ、不二に…」
「僕は、今は敵なんだよ」
 眼を開き、言う。これ以上の言葉を許さない、とでも言うように。その迫力に気圧されて、俺は思わず俯いた。その眼を、見続けることは出来なかった。
 そうだ。不二は敵なんだ。俺が、不二がテニスを続けている限り。だけど…。
「じゃあ。僕はもう行くから。手術、頑張ってね」
 さっきの声とは正反対の、驚くほど優しい声で言うと、俯いたままの俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。
 顔を上げた俺の眼に映ったのは、不二の背中。急いで手を伸ばしても、届かなくて。
「………不二っ」
 宙に伸ばされたままの手。握り締めると、その名を呼んだ。
「……ん?」
 ドアに手をかけたままで、振り返る。
 俺は深呼吸をすると、じっと不二を見つめた。さっきは見ることが出来なかった、その蒼を。
「俺は、君を憎むことは出来ない。この先も、ずっと」
「……何故?」
「怒りや憎しみよりも強い感情。知ってる?」
「………さぁ」
「それは、愛、だ」
 眼を逸らすこと無く、はっきりと言った。想いが伝わるように。
 暫く、沈黙が流れる。
 それを打ち切ったのは、不二の苦笑い。
「真面目な顔して、そんなこと言わないでくれないかな」
 俺の言葉の意味が理解らなかったわけではないだろうに。それでも不二はとぼけたような口調で言った。どんなに俺が真剣になっても真面目に受け止めてくれない。それがまた、頭に来るから。思わず、不二を見る眼がきつくなる。
「冗談じゃ、こんなことは言えない。俺は不二が…」
「ストップ。その先は、手術が終わったら聴くよ」
 身を乗り出して言う俺に掌を見せると、不二は微笑った。総ての感情を受け流すような柔らかい笑み。
 背を向けて、ドアを開ける。
「………逃げるのか?」
「君に、生きていて欲しいだけだよ。それは貸したんだ。後でちゃんと返してね。君の手で。じゃ」
「待っ…」
 また、届かない。
 行く当てを失った言葉は、溜息となって俺の口から漏れた。倒れるようにして、ベッドに横になる。視界に入る、青と白。力の入らない腕で、手繰り寄せる。
「……好きなんだ」
 中断されてしまった言葉を吐き出すと、俺はそれを強く抱きしめた。




真田、すまない。君のユニフォームの居場所はないんだ。
不二橘前提の話になるのかなぁ。これ。
怒りって生命力が溢れるよね。……最近あまり腹を立ててないけれど。
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