「不二ぃ」
 情けない声。英二は走ってくると、僕の腕にしがみついた。その眼は、困ったを通り越して、怯えが見える。
「何?」
「また、アイツ来てる。どうにかしてくれよ。いっつも赤い眼で俺に不二を呼んで来いっていうんだぜ。もう、夢にまで出てきそうだよ」
「ごめんごめん」
 あまりの怯えぶりに、僕は苦笑した。笑うな、と潤んだ眼で見つめる英二の頭を、優しく撫でてやる。
「もう来るなって。ちゃんと言っておくから」
「ホントだな?」
「本当。」
 英二を体から離し、部室脇にいる彼を見つめた。彼は僕が見ていることに気が付くと、気持ちが悪いくらいに顔を緩ませ、大きく手を振ってきた。溜息が出る。
「但し」
「んにゃ?」
「それを彼が聞いてくれるかは、別問題だけどね」
「………え゛」

「お久しぶりっスね。不二サン」
 部室に招き入れると、彼は青いベンチに座り、身を乗り出すような姿勢で言った。その姿は、尻尾を振っている犬のようで。その姿はどっかの生意気な1年に似てるな、なんて思った。まあ、彼の場合は、犬というより猫だけど。
 って。そんなこと考えてる場合じゃ、無いんだよな。
「一昨日も、来ただろ?」
 苦笑しながら、彼の隣に座る。
「あれっ。覚えててくれたんスか?」
 僕の言葉に気を良くしたのか、彼はますます犬のようにはしゃいだ。乗り出すようにして僕を見るから。近づいて来る顔。その額を、手で押しやった。
「英二が酷く怯えて僕の所に泣きついてくるんでね。君が来たことは覚えてなくても、英二のその顔が忘れられないんだよ」
「……あ。そう」
 もし彼に、犬の耳があるのなら。しゅんと垂れ下がっていたことだろう。それだけの落ち込みが、彼には見られた。駄目だな。そんな風に感情をコロコロと入れ替えるから、僕に負けるんだよ。
「そうっスよね。不二サンがオレのこと覚えてるわけないっスよね」
「まあ、そういうことだね。よく理解ってるじゃないか。赤也くん」
「……っ」
 僕が名前を呼んだことに、異常なくらいの反応を彼は見せた。耳はピンと立ち、また、尻尾を振り出しそうな勢い。
 駄目だ。もしかしたら、僕はもう彼のことを犬としてしか見れないかもしれない。
「不二サン、オレの名前覚えててくれたんスか?」
「そりゃあ、対戦相手だったからね」
 でも。犬と思えば、案外気が楽かもしれないな。
 僕は彼に微笑いかけると、その頭を優しく撫でてやった。その行動に驚いたのか、彼は目を丸くして固まった。けど、暫くすると嬉しそうに眼を細め、僕との間隔を詰めて座り直した。
 あ。もしかして、また、やっちゃったかな。
 追い返すつもりだったのに。これじゃ僕が彼に多少なりと好意を持ってるみたいじゃないか。まあ、動物は元々好きだから、仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけど。でも、僕、犬よりも猫の方が好きなんだけどな。って。そういう問題じゃない、か。こんなことしてるの、手塚が知ったら怒るだろうな。あれでいて、結構ヤキモチ焼きだし。
「で。今日は何の用?」
「………っていいますと?」
「だから。用があるから来たんだろ」
「用……あー。はいはい。そうそう。それがあったから来たんスよ」
 ……忘れてたな。
 慌てて自分のテニスバッグを漁る彼を見て、僕は苦笑した。
 何が楽しくて、僕なんかの所に足を運ぶんだか。観月もそうだけど、いい加減にして欲しい。僕だけってならまだしも、周りに迷惑がかかるようなやり方は、困る。
「オレと、試合しましょ」
 ラケットを持ち、僕を見ると、彼は微笑った。公式戦の時に見た気味の悪さは、もうそこにはなかった。でも。
「悪いけど。何度来られても、君との試合はもうしないよ」
 手塚に怒られたからなぁ。怪我したこと。人には身体を大事にしろというくせに、自分が怪我をしてどうする、なんて。電話越しに大声出されるから、暫く、僕は耳が遠いままだったんだよな。それにしても、珍しい。彼が僕に怒鳴るなんて。ま、電話だから出来たのかもしれないけど。
「不二サン?」
「ん?」
「どうしたんスか?ぼーっとして」
「いや…何でもないよ。兎に角、僕は君との試合はやらないから。理解ったら、青学(うち)に来ないでくれないかな?みんな、迷惑してるんだよね」
 眼を開き、一瞬だけ彼を強く睨む。まだ試合の恐怖が抜けていないのだろう。彼は小さく声を上げると、たじろいだ。犬で言うなら、耳を伏せて低姿勢をとってるってところかな。
「そんなに僕と試合がしたいなら、さ。立海の方で、練習試合でも申し込んでもらってよ。それだったら、どんなに僕が嫌がっても君と試合しなきゃならないでしょ?」
 僕の言葉に、名案だ、とばかりに彼が顔を上げた。けど、大きく頷いたあとで、更に大きく首を横に振った。
「何で?」
「だって、そうしたら不二サン、どうせ幸村部長とか真田副部長と試合するじゃないっスか。特に幸村部長は、手術をもっと早く受けてれば不二サンと試合できたのに、って言ってましたから」
「……幸村、か」
 随分、懐かしい名前のような気がするな。まあ、病み上がりとはいえ、立海No.1であることに変わりはないだろう。
「そうだね。試合、してみたいかもしれないな。幸村となら」
「……やっぱ、オレじゃ役不足ってことっスか」
 僕の呟きを聞き取った彼は、更に小さな声で呟いた。うな垂れて、ラケットを強く握り締めている。
「で、でも。オレ、あれからたくさん練習したんスよ。誰も怪我をさせないで、そういった技を使わないで、真田副部長といいとこまで行くようになったんス」
「真田止まりじゃ駄目だよ。僕には勝てない」
「……でも…。オレ、不二サンをライバルだと思ってるんスよ。だから、この先何年も、ずっと、もっとたくさん試合して…」
「ライバル、ね」
 なんだかなぁ。
 僕は苦笑すると、白くなっている彼の手に触れた。硬く握られていた指を解き、彼からラケットを取り上げる。
「自称・永遠のライバル、は聞き飽きたよ」
 どうして僕の対戦相手はこうも妄想癖があるのだろう。観月も、滋郎くんも、彼も。そう言えば、越前くんも僕とやたらと試合したがってたな。
 でも、残念だけど。僕が試合をしたいのはただ1人なんだよね。
「ライバルと言ってもいいのか分からないけど。そういった相手なら、僕にもいるよ」
「……誰っスか?」
「んー」
 立ち上がり、彼と向き合う。
「僕の本気を唯一見たことがあるヒト、かな」
 言うと、僕は彼の目の前ぎりぎりの所に、ラケットを突き出した。何をされたのか理解らなかったのか、彼は少し遅れて顔を後ろに逸らした。僕を見て、意味もなく笑う。
「もしかして、それってオレのことっスか!?」
「………。」
 意味もなく、ではなかったのか。彼の口から出てきた言葉に、僕は唖然とした。それと同時に、何の疑いもなくそう言った彼を、少しだけ可愛いと思った。
「残念だけど、違うよ。あれは本気じゃない」
「そんなっ。だってあのときの不二サンはいつもと違うってみんな…」
「いつもと違うからって本気だとは限らないよ。あんな怒り任せのテニス…本気だとは思って欲しくないかな」
 悪い癖だと、自分でも思う。本気を出したいと願ってはいるのに、いつも以上の力を出せるときは決まって何かに対しての報復を考えてるときで。そのとき以上の力を出したのは、後にも先にも一度きりだ。結果は、決着がつかなくて。引き分けってことになってるけど。
「じゃあ、誰なんスか?不二サンが本気を見せた相手って」
 沈んだ気持ちを振り払うかのように深呼吸をすると、彼は僕を睨みつけてきた。潰すよ、と言ったときのそれと同じ眼。傷を付けないような試合が出来るようになったといっても、結局、その精神までは変わってないということか。まあ、そんな簡単に変えられるようなものじゃ無いだろうけど。
「誰だと思う?」
 彼の敵意を交わすようにして、僕は微笑った。けど、彼の敵意は元々僕に向いているのではなく、僕の想い描いたヒトに向かっているので、それは無駄だった。
「…越前、リョーマ」
「残念」
「………幸村部長」
「はずれ」
「じゃあ…」
 大きく息を吸い込むと、彼は次々と公式戦で僕と当たったヒトや強いと言われているヒトの名前を挙げてきた。当然、それは総てはずれで。必死になってあてようとしてる彼の眼からは、さっきまでの敵意はなくなっていた。
 安心して、彼の目の前に手を翳す。
「もういいよ。なんか、いくら言っても出てきそうにないし」
「……今言った中に居るとか言いませんよね?」
「言わないよ。でも、忘れられてるのは淋しいかな。君だって、あんなに潰したがってたのに」
「………っ、手塚サンっスか?」
「正解」
 意外そうな顔をする彼に苦笑すると、持ったままだったラケットを彼に返した。彼の手を取り立ち上がらせる。
「手塚だけだよ。勝ちに拘れない僕の、本気を引き出してくれる程の強さを持ってるのは。だから、彼以上じゃないと、僕はライバルとして認めないかな」
 彼に背を向け、帰ってと言うかわりに、部室のドアを開ける。その意味が理解ったのだろう。彼は渋々といった感じで、ラケットをテニスバッグにしまった。それを肩にかけ、僕のところまで歩く。その足取りは、妙に重たそうに見えた。
 一歩外に出たところで足を止め、僕を振り返る。
「何?」
「それで。不二サンは手塚サンに勝ったんスか?」
「……………さぁね」
 どうだったかな、ととぼける僕に、彼は小さく舌打ちした。背筋を伸ばし、僕を見つめる。
「いいっスよ。兎に角、オレが手塚サンよりも強くなればいいってだけの話っスから。見ててくださいよ。オレ、絶対手塚サンよりも強くなって見せますから」
 言って僕に拳を突き上げて見せると、彼は背を向けて歩き出した。途中で、歩きながら僕の方を振り返った。
「とりあえず、今のオレの力量ってことで。明日また来ますから。試合してくださいね」
「……………。」
 彼の言葉に、また、唖然とする。その間に、彼は逃げるようにして走り去ってしまった。
「……あ。英二、ごめん」
 誰も居なくなった視界に、溜息混じりに呟く。
 どうなってるんだか。なんで、こう…僕の周りには話をちゃんと聞かない奴ばかりが集まってくるんだろう。
 なんだか、君が、酷く恋しいよ。手塚…。
 見上げた南の空は、僕の心なんて知らないから、呑気なくらい晴れ渡ってるし。
 まあいいや。さっさと部活を終わらせて、手塚に電話しよう。声が聴きたくなったって理由の電話を。





そして不二切も…不二塚の餌食に(笑)
リョマと観月と滋郎と切原に付き纏われるアイドル不二(攻)。
しかし不二は手塚に思いを馳せる。
書きながらアタシも手塚に思いを馳せる(笑)

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