159.海(不二橘)
「まさか、不二も泳ぐとは思ってもいなかったな」
 僕に追いついた彼は、海面から顔を上げると言った。そのまま、彼を促して誰も居ない岩場に上がる。
「何で?海に来たら泳がないと。それとも、僕が海岸でテニスをするとでも思ったの?」
 微かに触れる手。もう少し腕を伸ばして彼の左手に自分の右手を重ねると、そのまま指を絡めた。微笑う僕に、彼が顔を赤らめる。
「そ、うじゃなくてだな。写真を撮るとかそう言うことをすると思っていたんだ」
 言って顔を背けようとするから。僕は空いている左手を伸ばすと、彼の頬に触れた。
「水中カメラ、欲しいけど高いからさ。それに、僕、これでも泳ぐのは好きなんだ。ああ、もちろん…」
 言葉を切り、彼の唇に触れる。いつもは温かく甘い彼の唇が、海水に浸かった所為か、少し冷たくしょっぱかった。
「こうして橘の裸を陽の下で見たいって思ったからっていうのもあるんだけどね」
「……何か、後付けって感じだな」
「そう思うんなら、照れないでよ」
 太陽に照らされた所為じゃない朱色を頬に乗せる彼に僕は微笑うと、またキスをした。今度は、少し長めに。
「いいよね、海…って言うか、夏って。開放的な気分。こんな誰もいない所じゃなくて、みんながいる前で橘とキスしたいって思えてくるよ」
「俺と別れたくなかったら、そんな妙な考えはしないことだなっ」
 もう一度キスをしようとする僕の腕を潜り抜けると、彼は再び海の中に飛び込んだ。陽の光を反射した水の飛沫が、彼をキラキラと輝かせて見せる。
「なんて言ってもさっ」
 僕も彼の後を追い、海に飛び込む。素早く彼の手を掴むと、そのまま、海中でキスをした。顔を上げた彼は、少し海水を飲んでしまったのか、しきりに咽ている。
「結局僕と別れられないんでしょ、橘は」
「………先、行くぞ」
 僕の言葉に更に咽た彼は、そのせいなのか照れなのか日焼けなのか判らないくらいに耳まで真っ赤にすると、その顔を隠すかのように僕を置いて泳ぎ出してしまった。その何とも言えない後ろ姿に、思わず微笑う。なんて可愛いんだろう、なんて。思ってる間にも、彼と僕との距離はどんどん広がっていくから。
「待ってよ、橘っ」
 わざとらしく慌てた声を出すと、僕は彼に向かって泳ぎ出した。目の端に捉えた彼は、案の定、僕を待つ為に止まっていてくれたようだった。
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