170.泳ぐ(不二切)
「へぇ…」
 プールから上がったオレを見て、不二サンは一瞬、珍しいものでも見たとでもいうような顔をした。オレと目が合ったことですぐにいつもの笑顔に戻ってしまったけど。
「泳がないんすか?オレ独りで泳いでても、楽しくないんスけど」
「そう?独りでも随分楽しそうに見えたけど?」
「不二サンっ」
「あはは。泳ぐよ。そのうちね」
「ったく。不二サンがプールに誘ったのに、何でオレだけ楽しんでんスか」
「やっぱり、楽いんじゃない」
「っ。そうじゃなくって!」
「理解ってるって」
 からかうような口調に、思わず声を荒げてしまう。それも笑顔で交わすと、先輩は自分の隣の空白を叩いた。頭にタオルを引っかけ、そこに座る。気づかれないようにじりじりと寄っていくと、意外にも不二サンのほうから手を繋いできた。
「赤也…」
 真剣な眼で、オレを見つめる。その顔が次第に近づいてきて。オレは思わず眼を瞑った。途端、頭にあった重みが消える。
「あー。もう駄目か」
「あ、あれ?」
「ん?何?」
「べっ、つに」
 キスされると勘違いしたのを見抜いたのだろう。不二サンは、誰も居ない所でね、と呟くと楽しそうに微笑った。オレの頭に、さっき取ったタオルを乗せる。
「息継ぎの時と、上がった瞬間だけなんだね」
 白くなった視界。タオルを退けて他の色を取り戻す。
「はい?」
「赤也の髪が真っ直ぐなのってさ」
 言って手を伸ばすと、不二サンはオレの前髪を人差し指と中指で挟んで引っ張った。けど、手を離すと、すぐにオレの髪は波打ってしまった。面白いのか、不二サンはそれを何度か繰り返していた。
「もう。人の髪で遊ぶの止めてくださいよ。そんなに顔近づけてると、オレ、キスしちゃいま――」
「ん?」
「……っ。何でもないっス」
 唇を離し、微笑う不二サンに、オレの顔は真っ赤になってしまった。もしかして、日に焼けた?と原因は理解っているのに、わざとらしく聞いてくる。いつまでもオレが答えないでいると、不二サンは溜息をついて立ち上がった。
「不二サン?」
「追いかけっこしようか。水の中で」
 軽く準備運動をしながら言う。その肌は、長い間日の下にいたというのに白くて。もう見慣れているはずなのに、何故かオレは妙な気持ちになってしまった。
「何見惚れてるの。ほら、入って入って」
 オレの手を取ると、半ば引き摺るようにしてプールへと飛び込んだ。
「僕が追いかけるから、赤也が逃げて」
 何かを含んだような眼で、言う。嫌な予感、というか、妙な気持ちの所為で、妙な期待のようなものがした。
「…鬼ごっことは、違うんスよね」
「うん。僕に捕まったら、10秒拘束ね。そしたら、また逃げて」
「…捕まってる間、何する気なんすか?」
「ん。色々と。」
「…色々って?」
「色々、だよ。キスしたらさ、何か色んなことしたくなってきちゃって。でも、全然泳がないで帰るのも勿体無いからさ」
 やっぱりというか、待ってましたというか、なんというか。でも、不二サンは今のオレの気持ちくらい見抜いてるはずだから。オレがわざと捕まらないようにするための条件を出してくるはず。
「でも、人いますよ?」
「沢山ね」
「いいんすか?」
「水中なら、バレないよ。但し、赤也が我慢できなかったら、バレちゃうかもしれないけど」
 これ、か。オレが出したとしても、不二サンはあくまでシカト出来るからな。オレは昂ぶったものをどうすることも出来ない。
「さて。じゃあ、10数えるから。その間に逃げてね」
 どうした方がいいのか。それを考える暇も無く、オレは不二サンに背中を押された。水の流れに乗りそうなのに耐え、慌てて、振り返る。
「ちょっと。オレ、そのゲームに乗るなんていってませんよ?」
「じゅーう、きゅーう、はーち…」
 拒否権は無いってか。ったく、この人は…。
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