194.最も遅い乗り物(不二リョ)
「せんぱっ…俺、もう、駄目っ…」
「もう根をあげちゃうの?ほら、もう少しだから。頑張って」
「だっ、て」
 どう考えたって、歩いた方が早いじゃんっ!
「くっそぉっ…」
 ケタケタとアホみたいに微笑う先輩が頭に来るから。俺は歯を食いしばると、サドルから腰を浮かせた。思いっきり、ペダルを踏み込む。
「おお。速い速い」
 歩くのもキツイ上り坂。先輩が速いと言った俺を、犬に引き摺られて走ってるガキがいとも容易く追い抜いてく。
「ほらほら、後少しだよ」
 上下に動く俺の腰に、先輩の頭が時々ぶつかる。どうせだったら普通に乗って抱き締めてもらいたかったな、なんて。自転車を漕ぎ始めた時は思ったけど。後ろ向きで乗ってもらって正解だったかもしれない。だって普通に乗ってたら、俺、立ち漕ぎなんて出来ねぇし。
「……だぁっ」
「お疲れー」
 クスクス微笑いながらいうと、坂を登りきり自転車を止めて息をつく俺の背に寄りかかった。
 ったくこの人はこれだから。
「でも。僕のうちまではまだまだ先だよ。はい、頑張って」
 だーっ、もう。
「ちょっとは、先輩も替わってくださいよ」
「嫌だよ。だって、リョーマが言ったんだよ?僕を送ってあげるってさ。それに、サドルだって直さなきゃならないし。そんな面倒くさいことはお断り」
「じゃあ、歩いていきましょうよ。そっちの方が、ぜってー速いって」
「もう坂は終わったんだから。大丈夫だよ」
 俺から体を離し、進め、と叫ぶ。そのノーテンキさがムカついたから、俺は気付かれないよう自転車から降りた。先輩がコケれば良いな、と思って。
 だけど。
「おっと。危ない」
 こけたのは俺の自転車だけだった。
 って。分かってんなら、自転車くらい支えろっての。
「あーあ。僕の大切な足が」
 大して残念そうでも無く呟き、俺の自転車を起こす。はい、と渡されると、俺は自転車を近くの古本屋へ向かって転がし始めた。
「リョーマ?」
「自転車。あそこに止めてきますよ。こんな、世界一遅い乗り物に乗ってたら、いつまで経っても先輩ん家に着きゃしないっスから」
 小走りで、自転車を古本屋の隅に止める。しっかりと鍵をかけると、また小走りで先輩の隣に並んだ。
「甘いねぇ、リョーマは」
「へっ?」
 ニヤリと微笑うと、先輩はあっという間に俺を抱きかかえた。降ろせ、と騒ぐと、このまま背中から落ちてもいいの?と微笑いながら脅してくる。
「さて、ここで。リョーマに問題です。世界一遅い乗り物に君が乗って僕の家まで行くのと、世界一遅い乗り物に僕を乗せて僕の家まで行くのと。どっちがマシかな?」
 クスクスと微笑いながら、普通に歩きだす。俺だってそれなりの体重はあるはずなのに、その歩調はいつもと同じ。
 ……やっぱり、先輩が漕いだほうがいいじゃん。
 なんて。考えてる場合じゃない。気が付くと、自転車を止めた古本屋は俺の視界から消えていた。
 いくらここが人通りが少ないからって。夕方だからって。このままって言うのはかなり恥ずかしい。
「ち、ちょっと。先輩ストップ!」
「何?」
「分かりました。降参っスよ。俺がアンタを自転車の後ろに乗っけて走りますから。だから、降ろしてください」
「しょうがないなぁ」
 わざとらしく溜息を付くと、先輩は案外あっさりと俺を降ろした。それでも疲れた様子は何処にも無く、俺を見てニコニコと微笑っている。
「何?自転車、取りに戻らないの?それともあそこまで僕が運ぶ?」
 見つめている俺に、先輩は意地悪く微笑うと手を伸ばしてきた。慌てて、首を横に振る。
「いいっス。取ってきます」
 先輩の手をすり抜けて走り出す俺に、先輩は、まだ元気じゃない、と微笑った。
 このまま自転車に乗って帰ってやろうか。なんて思ったけど。そんなことをすると後が怖いから。俺は仕方なく、また先輩を荷台に乗せて走り出した。
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