197.ファイター(不二リョ)
 あのヒトと一緒に居るためには、かなり命がけだったりする。傍に行ってしまえば後は楽なもんなんだけど。そこに辿り着くまでが、なかなか大変。というか、面倒臭い。

「不二先輩、おはっ…」
「おチビっ、ふーじっ、おっはよーん」
 早めに来る不二先輩に合わせて、俺も早めに朝練に来るのに。挨拶をしようと近づくと、いっつも良い所で菊丸先輩が圧し掛かってくる。それも、俺じゃなく不二先輩に。
「英二。重いよ」
 だから、不二先輩が最初に名前を呼ぶのは、俺じゃなくて菊丸先輩。
「あっはー。ごめんごめん。でも、なんかこれやんないと、朝がきたって感じがしないんだよね」
「……何、それ」
 呆れた風な不二先輩に、菊丸先輩は楽しそうに微笑うと手を放した。そして俺を見て、勝ち誇ったように微笑う。
「あ。越前くん。おはよう」
 今日も二番目。また、負けた。これで、もう二週間、菊丸先輩に先を越されている。というか、絶対これを狙って菊丸先輩は不二先輩に抱きついてる。第一、菊丸先輩が好きなのは大石先輩だし。
 だからまぁ、悔しいのは悔しいけど、考えようによってはあんまり問題にはならなかったりする。害は無いわけだし。一応。
 問題は、この先に出てくる…。
「越前。今日も牛乳ちゃんと飲んだか?」
「飲みましたよ」
 乾先輩だ。
「そうかそうか」
 こうして乾先輩と話している間にも、不二先輩は菊丸先輩と空いているコートで乱打をはじめてしまった。
「どうした、越前」
 俺の目線が自分の遥か後方にあることに気づいた乾先輩が、わざと視線を遮るようにして覗き込んでくる。こうされると、少し動いたくらいじゃ、不二先輩の姿は見えない。乾先輩、図体だけはでかいからな。
 でもまぁ、このヒトも菊丸先輩と同じで、実際に好きな人は他にいるから、俺が妨害に会うだけで不二先輩自身には何もしない。とはいえ、データをとるためにストーカーまがいのことはしてるみたいだけど。でもその情報は俺にとってもありがたいものだったりするから、文句は言えない。
 だから、俺が問題にしてるのはそこじゃない。乾先輩にそうさせてる奴が問題なんだ。そいつの思い通りになってるこの状況がムカつく。
 ほら、乾先輩の隙をついて見た不二先輩に近づく人影が…。
 もどかしいこの状況をどうにかしようとしていると、ちょうど乾先輩の後ろを海堂先輩が通った。
「海堂先輩、はようっス」
「ああ?」
 突然俺が挨拶をしたから、海堂先輩は少し戸惑ったようだったが、とりあえず手を上げてそれに答えた。視線を目の前のヒトに向けると、案の定、乾先輩は海堂先輩を見てニヤニヤしていた。
「海堂。ロードワークもいいが、遅刻はするなよ」
「……スミマセン」
 恐ろしいくらい素直に謝る海堂先輩の頭を撫でると、乾先輩は俺なんか存在してないって感じで海堂先輩と部室へ向かった。
「ホント。遅刻しないでくださいよ」
 海堂先輩が居てくれないと、俺は乾先輩を追っ払えないんだから。
「よしっ」
 残るは中ボスとラスボスだ。

「不二先輩。向こうで俺の相手してくれません?」
「ごめん。これから手塚と打ち合いするんだ」
「だ、そうだ」
 菊丸先輩が大石先輩と話している隙をついて、俺は不二先輩に近づいた。のに、妙な奴が割り込んできた。
 勝ち誇ったような顔で俺を見下ろす手塚部長は、残念だったな、と唇だけで呟いた。
 こいつが中ボス。乾先輩に俺の邪魔をするように頼んだ張本人。気付かれてないつもりだろうけど、バレてるんだよ。その証拠に、部室から出てきた乾先輩に手塚部長は鋭い視線を飛ばした。ちゃんと引き止めとけと言っただろう、とでもいいたげに。
 可哀相な乾先輩。きっと放課後なんだかんだといちゃもんをつけられて、30周走らされるんだろうな。ちゃんと俺を止めておいたのに。俺が攻略しちゃっただけなのに。
 まぁ、こんなヒトの命令に逆らえない乾先輩が悪いといえば悪いんだけど。何か部長に弱みでも握られてんのかな。
「手塚。行こうか」
 突然不二先輩が口を開いたかと思うと、部長の手を取った。そのときの、ほんの僅かな部長の表情の変化が頭に来る。満更でもないという顔が。
「そうだな」
 俺の存在をすっかり忘れたように呟くと、部長は不二先輩の手を握り直した。二人で、寄り添って空きコートへと向かう。俺はただそれをじっと見ているしか無かった。

 不二先輩が手塚部長を気に入ってるのは、部活に入ったときから理解ってた。それと、手塚部長が不二先輩を好きなのも。でもお互い、それとなくしか気持ちが伝わってないようだったから、全然入る余地があると思ってたのに。
 なかなか、手強い。
 手塚部長は、不二先輩にからかわれることが殆んどだから、もっと隙のあるヤツだと思ってたのに。流石に、油断せずに行こう、とバカの一つ覚えみたいに繰り返しているだけはある。
 不二先輩は知ってんのかな。部長の性格の悪さを。でも、あの不二先輩のことだから、きっと気づいてるんだろうな。
 だって…。
「あれ?越前くん。まだ帰らないの?」
 のろのろと着替えていると、やっとのことで不二先輩が部室に戻ってきた。
「不二先輩こそ、まだ帰ってなかったんスね」
「忘れ物」
 微笑いながら言うと、不二先輩はベンチに置いてあった文庫本を手に取った。
 実はその文庫本。不二先輩が忘れてったの知ってたりする。それを不二先輩に知らせなかったのは、連敗続きの今日を、勝利で終わらせたかったから。
 部室に残るためにのろのろ着替えてたけど。俺は不二先輩から視線を外すと、出来るだけスピードをあげて制服を来た。不二先輩と一緒に部室を出るために。
「ね、先輩。一緒に帰りません?」
 ドアへ向かおうとする先輩の前に回りこむと、俺は言った。
 ここからがラスボス戦。本当の敵は、不二先輩なんだ。
「そうだなぁ」
 困ったように呟くと、先輩は俺の手から部室の鍵を取り上げた。
「もう遅いし、越前くんは先に帰りなよ。僕が部室の鍵を返してきてあげるからさ」
 クスクスと微笑いながら、先輩は俺の頭を優しく撫でた。
 意地悪。
 ココロの中で、呟く。
 不二先輩は俺の気持ちなんてとっくに気づいてるはずなんだ。菊丸先輩や乾先輩、そして手塚部長が気づくくらいなんだから。というか、俺が不二先輩に気づかれるように行動してるんだ。
 それなのに。先輩はいつもそれに気付かないふりで。俺の努力も笑顔で無駄にしていく。
 この人のココロを動かせない限り、俺に本当の勝利は訪れない。
「じゃあ、俺が走って鍵置いてきますよ。だからちょっと待っててください」
 言って不二先輩の手から鍵を奪おうとする。けど、あっさりよけられてしまった。
「いいよ。僕が置いてくる。でも君がそんなに鍵を置いてきたいなら、お言葉に甘えてもいいかな。但し、そのときは僕は先に帰るけどね」
 俺の目の前に鍵を出し、どうする?と微笑う。
「…………」
 どちらも選べない。
 意地悪な不二先輩のことだから、俺が待ち伏せしてたとしても、きっと別ルートで帰るだろうし、俺が後から追っかけたとしてもきっと同じ。
 どの道、今日は一緒に帰れない。折角、勝利で今日を終われると思ったのに。と言っても、本当の勝利とは程遠い小さなもんだけど。でも、そんな小さな勝利すらも俺は受け取れない?
 そんなの、やだ。
「迷ってる時間、勿体無いね。やっぱり僕が返してくるよ」
 俺の頭を撫でこくなことを言う先輩に、俺はもう一つの選択肢を忘れていることに気が付いた。先輩の手が離れる前に、その手をとり、自分の手を絡める。
「越前くん?」
「だったら一緒に返しに行くっス」
 言うと、俺は離されないように先輩の手を強く握った。今日の部活の時に不二先輩が手塚部長にしていたように、その腕に頬を寄せる。
「そうか。そうだね。一緒にって考え、すっかり忘れてたよ」
 けど。先輩には俺の接触は全く気にならないようだった。わざとらしい口調で、忘れてたなぁ、と呟く。
 意地悪。
 もう一度、俺はココロの中で呟いた。
 その選択肢、理解っていながら俺に言わなかったくせに。でも、これで一緒に帰れるわけだし。いいのかもしんない。
 とりあえず、与えられたもんでも、勝利は勝利だし。

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