206.鎮魂歌(不二幸)
「もし、俺死んだら」
 病室のベッド。弱々しい手で僕の手を握ると、彼は言葉を続けた。
「不二だけに、泣いて欲しい」
 僕を真っ直ぐに見つめ、言う。
「レクイエムは不二の涙だけで充分だ」
 その力強い眼に、僕は苦笑した。手を握り返し、首を横に振る。
「……何故?」
「君は、長生きするからさ」
「俺はもうすぐ死ぬ」
「そう言っている人ほど、長生きするように出来てるんだよ、人間は」
 それに、君は君が思っているよりも元気なんだ。それは言わずに、僕は手の力を抜いた。離れようとするのを拒むように、彼がしっかりと僕の手を握り返す。
 ほら、君はこんなにも力強い。
「だったら」
 言って僕を見つめるその姿には、さっきまでの弱々しさは何処にも無かった。僕に対する小さな不満が、そうさせていた。
「不二は俺よりも早く死ぬのか?俺を置いて、先に死ぬのか?」
「幸村」
「不二の言い方だと、死にたいと思っている奴は生きて、生きたいと思っている奴は死ぬということだ」
「極端に言えば、そうなるかもね」
「なら、やはり不二は俺より先に死ぬということになる」
 不満が大きくなりすぎて、不安に変わっているようだった。僕の手を強く握り締めていた彼の手は、いつの間にか弱々しいものに戻っていた。
 彼は、知らないんだ。僕が誰よりも自分の命を軽んじているということを。
 それもそうだ。こんな状態の彼に、言える筈も無い。彼の前での僕は、誰よりも生きる意思を持っている人間。本当の僕とは正反対の。
 彼が、それを知ったらどう思うだろう?
「……不二?」
 でもそんなこと。彼は知らなくていい。
「さぁ、どうだろうね」
 僕の顔を覗き込んでくる彼に曖昧に微笑うと、その額に唇を落とした。繋がれていない手を伸ばし、彼を抱き締める。
「でも、僕がもし先に死んだとしても。僕はいらないよ、鎮魂歌なんて」
「……何故?」
「天国になんて行きたくないからさ。君が死ぬまで、ずっと傍に居るよ」
 彼の顔を覗き込み、ふふ、と微笑う。少し意外そうな顔をしていたけど。暫くすると、彼は声を上げて笑った。
「何を、そんなに笑っているんだい?」
「不二は、魂とか信じてないんじゃなかった?」
「……幸村のためなら、僕はいくらでも変われるよ」
 自分の中にある暗い影を押し込めるように優しく微笑うと、僕は彼にキスをした。
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