221.原っぱ(不二佐)
 手に、濡らしたハンカチを持って。走る。
 向かうは、ベランダから見えた緑。

 1人で、のんびり帰るのが好きで。俺はいつも、皆が家に着くであろう時間まで教室のベランダで時間を潰していた。
 今日もそうやって、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
 そうしたら。四角く切り取られた緑の中心に、違う色を見つけた。
 目を、凝らす。
「……不二?不二っ!」
 それは、丸まるようにして倒れている不二だった。

「はぁっ、はぁっ……はぁ」
 ベランダから見えた原っぱは、思ったより遠く。着く頃には、俺のほうが少々バテ気味だった。それは、焦っていたから、というのもあるのかもしれないけど。
 呼吸を整え、不二の前にしゃがむ。
「不二っ、大丈夫か?」
「……ぁ。佐伯」
 覗き込むと、不二はゆっくりと瞼を開けた。ぼんやりとした眼で、俺を見る。
「汗、凄いよ」
「え?…あ、たり前だろ。今年は猛暑なんだから」
 言われて、俺は額から伝い落ちる汗を拭おうとした。けれど、持っていたハンカチは不二のために使うもので、俺は使えない。仕方なく、シャツを捲くって汗を拭いた。
「佐伯。お腹見えてる」
 クスクスと微笑いながら、不二が仰向けになる。俺は溜息をつくと、不二の顔に濡れたハンカチを広げて乗せた。
「干乾びてるなら、それで水分補給しろよ」
 全く。呟いて、俺も不二の隣に座る。
「………佐伯」
「礼には及ばないよ」
「僕、このままだと窒息するんだけど」
「え?あっ。ごめん」
 慌てて、不二の顔からハンカチを退ける。大丈夫か?と顔を覗き込むと、不二は大袈裟に深呼吸をして、大丈夫、と微笑った。
「でも何で、佐伯がここにいるの?」
 もぞもぞと俺の膝に頭を乗せると、不二は訊いた。持っていたハンカチを畳み、その額に乗せてやる。
「……ベランダから、不二が倒れてるのが見えたから」
 心配で。そう続けようとしたが、出来なかった。俺の言葉を訊いた不二が、壊れたんじゃないかというくらい、笑っていた。振動が膝から伝わって、くすぐったい。
「不二?」
「そっか。倒れてるように見えたんだ。僕はただ、昼寝をしてただけなんだけどな」
「…………そう、なのか?」
「そう。全く、佐伯は本当に抜けてるよね。さっきは僕を窒息死させようとしたし」
 まだ笑いが収まらないらしい不二は、クスクスと微笑いながら言った。その楽しそうな顔に、溜息をつく。もちろん、その中には、不二が倒れていたわけじゃなくて良かったという意味も含まれている。
 それにしても。
「俺を抜けてるなんていうのは、不二くらいだよ。これでも、皆からは、頼りがいのあるしっかり者のサエさんって言われてるんだよ」
「知ってるよ。でも、僕からすれば、抜けてるよ。……どうしてだろうね」
 言うと、不二はさっきまでとは違う、見透かしたような笑みを見せた。
「さ、さぁな」
 その笑みに、顔が赤くなりそうで。俺は慌てて眼をそらした。宙を仰ぎ、落ち着け、と深呼吸をする。
「ほら、慌てて。それで隠してるつもりなんだから、笑っちゃうよね」
「………え?」
「んーん。何でもない」
 視線を戻した俺に、不二は今度は悪戯っぽく微笑った。もぞもぞと俺の膝の上に乗せた頭の位置を変え、体を丸める。
「ねぇ、佐伯。もう少し、こうしててもいい?」
「いいけど。干乾びるなよ」
「大丈夫だよ。佐伯がいるんだから」
「窒息死、させないように気をつけるよ」
 目を瞑った不二に俺は苦笑しながら言うと、濡れてしまった不二の前髪を優しく梳いた。
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