嘘じゃなく、愛している。 |
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「どうした?」 軽く微笑うと奴は続きを促すように首筋を撫でた。何でもねぇ、と答える前に口を塞がれる。オレは抵抗することも出来ず、いや、寧ろそれを自ら受け入れてしまう。 ああ、駄目だ。 湧き上がる熱に、強く思う。けれど、振り払うことはどうしても出来なくて。 そしてまた、今夜も流されて――。 幻覚かと思った。それほどまでにあの夜が忘れられなかった。 どんな過ちか、体を重ねた夜。 アイツは涙を堪えたような顔でオレの上に乗り、そして一度だけ微笑った。 あの夜。 それは無かったことになる夜だった。 現に翌日、起きるとアイツは既に姿を消していた。痕跡は何も、ベッドに温もりすらも残っていなかった。 いや、オレがアイツの肌に残した跡だけは、多分、あると思うけど。 けど、オレの手元には何も無い。 ともすれば夢とさえ思ってしまうような出来事。 なのに、決して忘れることが出来ない出来事。 あれから一時もアイツのことを忘れたことがなかった。仕事中でも、気を抜くとすぐにあの光景が甦った。 そんなだったから、ついに幻覚まで見るようになっちまったのかと思った。 街中で偶然、アイツの姿を見つけたときは。 だけどそれは幻の類なんかじゃなかった。 交差点の向こう側。アイツはその人と一緒に信号を待っていた。 楽しそうな笑顔。あの夜オレに見せた微笑みとは全然違う、だけど誰もが見惚れるような微笑み。 今まで何度かその人と共にいるところに居合わせたことはあったけど、そのときですら見せたことがない表情。多分、きっと、二人きりだからこそ見せるものなんだろう。 そう思った瞬間、オレの胸は鉛を含んだように重く冷たく苦しくなった。 嫉妬してる?オレが?まさか。 否定するために笑ってはみたけど、それは本心だと分かりきっていたからどうしても自嘲気味なものになってしまう。 そうだ。オレはあの夜から。いや、それを受け入れたのだから実際はもっと前からアイツのことを……。 思考を中断させるように信号が青になり、オレは誰かに肩を押された。慌てて人波にのってはみたけど、次第に近くなる距離に、オレは緊張を隠せなかった。 あの夜から一度も会ってない。だから。どんな顔をして会えばいい? けど、それは杞憂だった。アイツはオレに気づくことなく、楽しげな声だけを残して背後へと過ぎ去っていってしまった。 そう。アイツはオレには気付かなかった。 きっと何とも思ってなかったんだ。あの夜だって。 それなのに。 それなのにどうしてまた、オレたちはあの夜を繰り返してるんだ? 「集中力、ないんだな。何を考えてる?」 熱っぽい声に、我に還る。 何って、お前のことだよ。なんて言えるはずも無いから、オレは、ヤツの髪を掴むと強引に唇を寄せた。そのまま体を反転させ、ヤツをベッドへと押し付ける。 「こうしてみると、やっぱりお前も女なんだなと思ってさ」 一糸纏わぬ姿になったヤツを眺め、無理矢理に余裕の笑みを作ってみせる。本当は色んな想いがぐちゃぐちゃになって、余裕なんて全然無いのに。 けど、ヤツには上辺だけで充分だ。どうせオレなんて見ていないんだから。 「……お前は。僕を何だと思ってたんだ?」 「さぁ?」 「仮にお前が僕を男だと思っていたとして、だ。じゃあお前は男とセックスするつもりだったのか?」 やっぱり、オレになんて気づかない。 馬鹿にしたような物言いに腹が立ったけど、落胆の方が大きくてオレは何も言い返せなかった。 ただ。少しして、じゃあそういうお前はなんなんだ、と疑問には思った。だから。 「オレは同性とする趣味なんてねーよ」 わざと言葉を選んで言った。案の定、ヤツの顔が歪む。 けどそれは一瞬だけで、ヤツはすぐにいつもの軽い笑いを浮かべた。 「同感だな。僕にもそんな趣味はない」 ……嘘吐き。 また胸が鉛を含んだように重くなる。 確かにお前にはそんな趣味はないのかもしれない。けど、心は別だ。 お前はオレなんて見ちゃいない。いつだってあの人だけを見てる。本当は抱きたくて仕方がないくせに。 それが出来ないから、こうやってオレに抱かれてるんだろ?諦めるために。あの人を好きなわけじゃないって思い込むために。 チクショウ。 交差点でヤツを見つけたとき。オレは終わらせようと思った。 いや、違う。元々一夜限りの関係だったんだ。 それなのにオレはいつまでも燻っていて。 けど、あの笑顔を見て。あの人に向ける優しいその顔を見て。オレは総てを理解したんだ。 そう、理解はしてる。今だって。いつだって。 「星野、携帯鳴ってるよ」 「ああ」 「ああ、じゃありませんよ。いいんですか?」 「どうせメールだよ」 「へぇ。星野、アドレス誰かに教えてたんだ」 「別に。オレの勝手だろ」 「うっわっ。星野が怒った」 「星野。メールだとしても、出ないのは相手に失礼じゃないですか?」 「メールは電話じゃねーんだから、いつ返信したって構わねーんだよ、本来は」 それに。別に失礼ってことにはならないさ。 メールの内容なんて見なくても分かってる。この音楽はアイツからだ。 どうせ今夜の誘いのメールだろ?返信なんてしなくても来るくせに。 オレの気持ちなんて見ようともしないで。 失礼なのは、どっちだ。 送られてくるメールを何度も無視しようとした。 登録されてるアドレスを何度も消去しようとした。 鳴り響くインターフォンに何度も耳を塞いだ。 だけど。たった一言の嘘を聴くまではって、どうしてもこの関係を続けている。 けど、もうそれも限界かもしれない。 「……なぁ」 「ん?」 「お前、何でオレんとこに来るんだ?」 オレの質問に、ヤツは何も答えず、ただ微笑んだ。そうして優しくキスをしてくる。 その優しさは何のためだ?オレのため?それともお前自身の罪悪感を消すため? なぁ。一度でいい。嘘でもいいから、愛している、って聴きたいんだ。 そうしたら、オレはきっとこの関係を終わらせられる。いや、終わらせるんだ。戻れなくなる前に。 なぁ。どうしたらお前は嘘をオレに言ってくれる? 「星野」 「あんだよ」 「そういうお前こそ、どうして僕を部屋に入れるんだ?」 「お前が好きだからに決まってるだろ」 「……お前、嘘が下手だな」 あっさりと言い放つヤツに、オレは、そうだな、と呟くと苦笑した。 また近づいてくるヤツの唇を潜り抜け、実は華奢なその体に圧し掛かる。 「天王。オレは……」 オレはお前を好きなわけじゃない。 「星野?」 オレは、お前を。嘘じゃなく――。 |
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