「でさぁ……」
 話をしながらも、さっきから彼女の視線が落ち着かない。私の後ろを見たり自分の手元を見たり。
 気付かないとでも思っているの?ちゃんと分かってるんだから。そう、もうすぐ迎えの時間ね。
「はるか」
 彼女の言葉を遮るように、その名を呼ぶ。
 続きの言葉をどうするか瞬間悩んだけれど。結局は、変わらない。
「下まで、送ってくださる?」

 ふたり寄りそうようにしてエレベーターに乗る。
 彼女はまだ中学生だというのに、ひとり暮らしをしている。理由は、レース場が近いから。
 心の広い両親なのね、なんてその話を聞いたときは思ったけれど、どうやらそうではないらしい。心が広いのではなく、無関心。金さえ与えればそれでいいと思っている。だからなのかもしれない。彼女が負けず嫌いになったのは。いつか両親に存在を認めてもらうための手段として。
 それに対して私は。両親の家で暮らしている。国内外を忙しく移動するふたりだから、ともに過ごす時間は少ないのだけれど。それでも私は両親からの愛を感じている。毎日欠かさずメールか電話があるし、学校が長期の休みのときには私を仕事先へと一緒に連れて行ってくれる。流石に、学校のイベント事には滅多に来れないけれど。それでも執事の海堂が傍に居てくれるから。そう、だからこそ、今こうして彼女と共に海堂の待つマンションの地下駐車場へと向かっているのだけれど。
 繋いだ手。背の高い彼女の肩に寄せた頬。部分的に伝わってくる彼女の体温。それだけで。最初は充たされていた。だけど、今はもう。この温もりも淋しさを募らせるだけ。
 ねぇ、はるか。帰りたくないって言ったら。貴女はどう思うのかしら。
 言葉のままに受け止めて、子供のようだと笑う?
 それともちゃんと曲解して、背伸びしてると笑う?
 どちらにしてもきっと、受け入れてはくれない。イメージと違うって、幻滅するでしょうね。
 でもこれは貴女を好きなだけじゃなく愛しているから。ねぇ、分かって。きっと貴女だって私を愛しているのなら、いつか同じ気持ちになるはずよ。
 ねぇ、試しに。本当は帰って欲しくないんじゃない?なんて訊いてみようかしら。
 でもきっと無理ね、今のふたりでは。そんなことを言っても、ただ貴女を困らせるだけだわ。

「流石、君の執事だね。時間きっちりに到着だ」
 少し早めについた駐車場。ふたりでコンクリートの柱に寄りかかって、車が入ってくるのを眺めていた。
「そうよ。なんといっても海王家の執事ですもの」
 方向転換をし、私達の前に静かに止まる。いつもなら開けてくれるドアも、ここでは決して開けてはくれない。
 本当に、よく出来た執事だわ。
 彼女のマンションに私を迎えに来る時は、予定時間より早く迎えが来ることは決してない。いつもなら三十分も前から待っているのに。だからといって、執事の最低限の責務として遅れてくることも決してない。これは、私の気持ちを汲んでくれた海堂の最善策。車のドアを開けてくれないのも、その中のひとつ。
「さぁ、お乗りください、お嬢様」
 海堂の真似なのか、少しおどけた口調でいう彼女が車のドアを開ける。そのエスコートで私は車の中に入る。腰を下ろすその瞬間まで、繋いだ手を離すことはない。
 優しく扉が閉められたあと、何秒とおかずにスモークの貼られた窓が目一杯まで下がる。これも海堂の気遣い。
 身を乗り出すようにして顔を出す私は、車体に手をかけて身を屈める彼女の唇に触れる。本当はすぐに離れるものじゃなく、もっと情を煽るようなものを望んでいるのだけれど。
「それじゃあ、みちる。明日、放課後に迎えに行くよ」
「ええ。待ってるわ」
 いつもならこのやり取りのあと、彼女は車体から手を離し、この車は私の家へと向かって走り出す。けれど、今日の彼女は未だ近い距離で私を見つめていた。
 どうしたの、と目で訴える私に、彼女が苦笑いをする。
「今はまだ、一般道は走れないけど。近いうちにどうにかして、必ず免許をとるから。だから。その……」
 僅かに顔を赤くして。言葉の語尾が消えていく。そんな彼女を見るのはとても珍しく、私は思わずクスクスと声を出して笑ってしまった。
「なんだよ。人が折角……」
「はるか」
「ん?」
「私、貴女と同じ高校に行くわ。それと、このマンションの近くでひとり暮らしも始めようと思うの」
「……差し出がましいようですが、お嬢様」
「大丈夫よ、海堂。それなりの理由をつけてお父様たちには話をしてみるから」
「いえ、そうでありません。それならば、無限学園をお薦めしたいと思いまして。あそこはここ数年で出来た学園で最新の設備が整っている上に、学科も豊富にあります。確か音楽科もあったはずです。そちらならお嬢様もはるか様も共にいながらそれぞれやりたいことを出来るのではないかと」
「……本当に、あなたは素晴らしい執事だ。僕たちのことを許し、秘密にしておいてくれているだけじゃなく、そこまで考えてくれるなんて」
 海堂の言葉に、彼女は殊更柔らかい口調で、礼をいいます、と言った。見つめたその顔にはもう赤みはなく、だけど一瞬辛そうに見えたのはきっと。将来について、触れられたからだろう。
 同じ高校に通う。だけどきっと、恋人として共にいる時間は今よりもずっと少なくなる。最近、妖魔の出現数が目に見えて増えてきている。このままだと、きっと。……増えるのは、戦士として共にいる時間ね。
 それでもいいわ。例え戦士としてでも。私の夢は、だって、もう。はるかの傍にいることになってしまっているのだから。
 ねぇ、貴女もそうじゃなくて?
「そうだな。そうしよう。君さえよければ、だけれど」
「私は貴女と一緒にスクールライフを送れるのなら、場所なんて何処でもよくてよ」
 私の言葉に彼女はまた瞬間顔を曇らせたけど。手を伸ばし指を絡めると、私の気持ちを感じたのか、優しく頷いてくれた。
「ああ、でもちゃんと免許はとるよ。君には僕の走りを間近で見て、感じてもらいたいからね」
 思い出したようにそう言うと、彼女はいつもの自信に充ちた笑みを見せ、もう一度キスをした。名残を惜しむようにゆっくりと距離は離れて。だけどパワーウインドは私達の気持ちを無視するかのようにいつもと変わらない速度で閉まっていった。
 立ち尽くしたままの彼女を置いて、静かに車が走り出す。

「ワタクシそろそろお役御免でしょうか?」
「まさか。ただ、運転という項目がなくなるだけよ。貴方は家族も同然なんだから」
「ありがとうございます」
 ゆっくりと駐車場を出た海堂は、私の言葉がそんなにも嬉しかったのか、今まで以上に丁寧に運転をしてくれて。私は思わず車内でうとうととしてしまった。
 夢の中では、先ほど交わした会話の内容が総て実現されていて。いや、総てではない。確かに私は彼女のマンションの近くに部屋をとったのだけれど、そこでは彼女との共同生活がはじまっていた。勿論、私が望んでいる関係で。
 それは幼き日に互いが望んでいた将来ではないけれど。とても倖せに充ちた未来。
 ああ、これが正夢なら、どれだけいいことか。
 門扉の重く開く音に目を醒ました私は、忘れないよう何度もその夢を反芻して。これを忘れない限りは、せめて中学を卒業するまでの間だけでも、彼女を困らせるような発言はしなようにしようと思った。
 だってきっと、焦らなくても。これは正夢になるのだから、と……。


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