求めるのは、言い訳。
 光と轟音。
 それが届くよりも早く、僕は右へと飛んだ。僕の横ギリギリを、妖魔の放った攻撃が飛んでいく。
 次はこっちの番だ。
 避けながら掲げていた手に集中させ、拳を握る。けれど、その集中力は聞こえてきた悲鳴によって途切れてしまった。
「ネプチューン!?」
 振り向いた僕の目に、光に包まれ後方へと飛んでいく彼女が映る。先ほど技を繰り出したばかりだった彼女は、初動がコンマ何秒か遅れたらしい。
 今すぐにでも駆け寄りたい衝動に駆られる。けれど視界の端に映った妖魔は既に次の構えを取っていて、このままだと彼女を庇いきれず二人ともやられてしまうと思った。
「くっ」
 一瞬だ。一瞬だけ。そう言い訳をして、彼女を思考から振り払い、掲げた拳に集中する。それは思いがけないほどの集中だった。彼女を思考から取り除いたことで、僕の中にはもう何もなくなっていたのかもしれない。
 妖魔が僕の気配に気づき、続けざまに彼女に放とうとしていた閃光弾を僕に放つ。けれどそれは、僕が放った天界震に飲み込まれ、妖魔自身へと舞い戻る。
 曇天の空に響き渡る醜い悲鳴。けれど僕はその最期の姿を見届けることはなく、遥か後方へと吹き飛ばされた彼女の元へと走る。
 はず、だった。
「……まさかっ」
 視界の端に映った影に、妖魔を振り返る。そこに見た最期の姿は、本来ならば、決して振り返ってはならないものだった。

「みちる。みちる、大丈夫か?」
 僕が彼女の元へ駆け寄った時には、彼女は変身を解いてふらつく体でなんとか起き上がっていたところだった。
「すまない。僕が君の側へと飛んでいたら。一緒に避けられたのに」
「……妖魔は?」
「大丈夫。ヤツは消滅したよ」
 放つ言葉が少しぶれていたかもしれないと思ったが、彼女は体の痛みで僕の言葉など情報程度にしか受け取っていないようだった。
 心中を悟られなかった安堵と、彼女がそれほどまでのダメージを受けていたことに対する悔恨とで、何も言えなくなる。
「外傷はないみたいだけれど、全身が痛むの。肩を貸してくださる?」
 スカートの裾についた草木を払いながら、彼女は僕を見上げて微笑えんだ。ああ、といつものように頷いた僕は、彼女の腕を取ろうとして、それが出来なかった。
「はるか?」
「歩くの、辛いだろう?車、回してくるよ。すぐだから。少し休んでいるといい」
 僕の言葉に、彼女が訝しげな顔をする。けれど、僕は彼女が異論を唱える前に車を停めている方へと走り出した。

 こんな距離、いつもなら肩を貸すどころか、彼女を抱きかかえてだって連れてくる。きっと彼女も僕の様子が可笑しいことに流石に気付いただろう。
 何分ともせずに辿り着いた車。キーを差し込んだけれど、それを回す力が出なかった。
 先ほど見た、見てはいけなかった光景が、脳裏に甦る。
 あれは、確かに人だった……。
 これまで、妖魔は妖魔でしかなかった。つまり、人外の生物だ。人を取り込んだり、操ったりしたことはあったけれど、人と妖魔の区別はついていた。だが。
 あいつは人だったのか?人との融合があそこまで上手く行くように?それとも、誰かが人を完全なる妖魔に?……それとも、妖魔は初めから、人だった?
 ……考えても、分からなかった。
 ただ分かるのは、僕はついに人を殺めてしまったということだけだ。
 人を手にかけるのはタリスマンを奪うときだけだと思っていたのに。
 みちるに話せばきっと、仕方がなかったと言ってくれるだろう。彼女は決して僕を責めたりしない。さっきだって、僕が彼女を助けられなかったことを悔いたセリフを吐いたのに、気付かないフリをしてくれた。
 だけど。仕方ないはずはない。ヤツを完全に消滅させたりなどしなければ、もしかしたら人と分離させることが出来たかもしれない。ヤツの中に人が取り込まれている可能性を忘れ、一瞬で消してしまったのは、僕の責任だ。
 あれだけの力を出すつもりはなかった。今更、言い訳にしか聞こえないけれど。彼女がやられて、それでも気を取られまいと彼女を思考から追いやって。瞬間、何もかもがどうでもよくなった。ヤツが妖魔であろうがあるまいが。自分の攻撃でこの地球(ほし)がダメージを受けることになろうが。どうでもいいと思った。ただ、目の前にいるヤツを殺すことだけを考えていた。
 そう、殺すことだけを――。
「みちるのいない世界は、僕にとっては無価値ってことか」
 自嘲気味に呟く。何故か涙が零れそうになって、僕はハンドルに額を押し付けた。
 と、すぐ隣でガラスを叩く音。
 顔を上げると、不安そうなみちるの顔が、そこにあった。

「悪い。すぐに迎えに行くつもりだったんだけど」
「シートに座ったとたんに、疲れがでちゃって?」
「そう、それ」
 ハンドルを切りながら、いつもの軽い口調で言う。聞こえてきた短い溜息に、嘘が下手ね、といわれた気がした。
 それからは沈黙だった。僕は口を開けばもしかしたらこの事実が伝わってしまうかもしれないという虞から黙り、彼女は恐らく僕が話してくれるまで待とうという気遣いのために黙った。
 つまり彼女は、僕に何かが遭ったことには気付いていて、それを本当は聞きたいと思っているということだ。
 だけど僕は話さない。
 今まで倒してきた妖魔が人だったのかどうかは分からない。それは知りようもないし、今更知らなくてもいいことだ。
 けれど今日、僕は知ってしまった。
 あれは人だ。
 殺したのは僕だ。
 穢れたのは僕の手だ。
 彼女はまだ穢れていはいない。そしてこの穢れを彼女に背負わせてはいけない。絶対に。こんな苦痛。今にも叫び出しそうな痛み。味わわせてはいけない。
 知らなければそれは穢れていないことと同じだ。無知と純粋さは同義だ。今までのことは、知らないのだから無かったことに出来る。そしてこれからは。これからも。決して彼女は穢れない。それは僕がこの事実を伝えないことにもあるし、この先の戦いでは僕が必ず妖魔の止めを刺すからだ。
 言い訳?なんとでも言え。僕はもう決めたんだ。
「……これでいいと」
「え?」
「いや。……今日は、キミの部屋でいいんだろ?」
「ええ。そうね」
 彼女の手が伸びて、ギアを握る僕の手に触れようとする。けれど、彼女の手は、触れる寸前で止まった。恐らく、僕の緊張を読み取ったからだろう。
「体がまだ痛くて。すぐにでも休みたいの。だから、はるかは送るだけでいいわ」
 傍に居て欲しいと言いたかったのかもしれない。いいや、きっと言いたかった。けれどそれが出来なかった手は硬く握られ、彼女の膝に静かに置かれていた。
 ごめん。ごめんな、みちる。
 一抹の不安。穢れてしまった僕が彼女に触れることは、許されるのだろうかという自問。彼女ならきっと問題ないと微笑ってくれるだろうけど、真実を話せない限りにはその笑顔も見られない。
 暫く一人で考えたいんだ。君の手を再び握るために。
 別れのキスもなしに彼女を見送った僕は、ハンドルを強く握ると深夜の高速に向かって車を飛ばした。


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