ホームドラマ |
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「まいったな」 別に、何も困ることは無いんだけど。どうも、教えるという行為が面倒で。その言い訳を探すために僕は困ったフリで頭を掻いた。 それに、だいたい……。 「お願いよ、はるか」 「こんな美味しいもの作れるんだから、僕よりも料理の腕は上なんじゃないのか?」 フォークでケーキを切り分けて、口に運ぶ。二切れ目は彼女の口に。 引越しも一段落し、部屋が片付いたから遊びに来て欲しいといわれて来てみたら、テーブルに彼女の作ったという手作りのケーキが用意されていた。 こんなものしか作れないというわりに、どう見てもそれは本格的なもので。 だから。 「母は私がもし怪我をしたらヴァイオリンの演奏に差し支えるからといって、包丁を握らせてくれなかったわ。だから、こんなものしか作れないの。シェフにお願いして、内緒で教えてもらったのよ」 「こんなものってね。充分美味しいよ?菓子類が作れるだけでも凄いじゃないか」 まったく。そう思いながらも、ケーキを口に運ぶことで僕の不満が緩和されていくから厄介だ。 「それに。だったらそのシェフに教えてもらえば良いだろ?何でわざわざ僕なんか」 「だってはるかの作った料理が凄く美味しかったから……」 料理、料理か。 確かに彼女に何度か手料理を食べさせたことはあるけれど、それは彼女が自宅で食べているものみたいに立派なものじゃなく、ごくごく一般的な家庭料理だ。それに僕は、菓子類は作らない。 どう考えても、彼女が僕に料理の教えを請うことは見当違いだと思うんだけど。 「家庭料理を作れるようになりたいのよ」 「……そんなの。食べたくなったら幾らでも僕が作ってやるさ。そのための一人暮らしだろ?」 僕たちが好きなときに好きなだけ会えるようにするための。 「そうじゃなくて。私がはるかに作ってあげたいの。憬れていたのよ、ずっと。子供じみてるって言われるかもしれないけれど、なんていうのかしら、そういう……」 「庶民的?」 「……別に、はるかがどうっていうわけじゃないのだけれど」 僕の言葉に、彼女は曖昧に頷いた。何を気にしてるんだか、と内心苦笑する。 「いいさ。僕だって憬れてやりはじめたことだから」 その気になれば、仕送りで外食三昧の日々だって余裕で送れるんだけど。それをしないのは、僕が余り送られてきた金に手をつけたくないから。まぁその意識も、彼女と出会ってから崩れ始めているけれど。 「ねぇ。だから。お願い。私に料理を教えて欲しいの。……駄目?」 切羽詰った表情で、僕の顔を覗きこんでくる彼女に。駄目だ、と言おうとして、僕にはそれが出来なかった。 喉元に言葉が詰まったままなのも気持ちが悪いから、彼女お手製のケーキでそれを胃の中へと押し込む。本来なら、指を突っ込んででも吐き出さなければならないのかもしれないが。 「……みちるさ。今まで誰かにお願いして断られたことって無いだろ?」 「ないわ」 「だろうね」 そんな表情されて断れるほうが疑問だよ。 「そうじゃないわ」 今度は隠さずに苦笑した僕に、彼女は少しだけ淋しそうに呟いた。 「何?」 「私、今まで誰にもお願いなんてしたことがないの。我侭なんて言ってこなかったのよ。だから当然、断られたことも一度も無い。はるかにだけよ、私がお願いをするのは」 僅か伏せていた視線を再び僕に戻し、じっと見つめる。彼女の手が、頭に乗せていた僕の手に伸びる。 「わざとか?みちる」 僕の手を包むように両手で握る彼女に溜息を吐く。そのことで彼女が表情を曇らせたけれど。 「だからさ。そんな表情されて、一体誰が断れるっていうんだ?」 彼女の手を握り返し、微笑む。すると、彼女もようやく笑顔を見せてくれた。 「私が我侭を言える唯一の人、天王はるかさんなら。断ることが出来てよ?」 もう、僕の答えは分かっているのだろう。いつもの強気な発言が戻ってきて、僕は何となく安堵した。面倒ごとを頼まれたというのに。駄目だな、僕は。 「無理だよ。分かった。降参。悪かった。教えるよ、料理。ま、器用な君のことだから、すぐに僕より美味しいものが作れるようになるだろうけどね」 彼女から手を離し、伸びをしながらソファにもたれる。ありがと、と優しい声の後で、再び手を握られた。 「ねぇ、はるか。私、素敵な奥さんになれるかしら?」 彼女の質問に、僕はドキリとしてしまった。これは、所謂プロポーズとか言うものではないのだろうか、と一瞬だけ、馬鹿げたことを思う。 「みちる。それは、誰の?」 「勿論、はるかの」 淀みない答え。だけど僕はもう動揺はしなかった。本気だとしても、雰囲気に飲まれた遊びだとしても。この会話は、悪いものじゃない。 「それじゃあ僕は、外で働いてこないといけないのかな?」 「安いホームドラマみたいね」 「いや、ドラマよりも退屈だ」 「何故?」 少しだけ顔を曇らせる彼女の肩を抱き寄せると、僕は軽い音を立ててキスをした。 「家庭内で何のトラブルも起きないホームドラマなんて、退屈そのものじゃないか」 額を重ね、微笑う。勿論、彼女も微笑っている。 「それじゃあ、何か問題でも起こす?」 「まさか。ドラマとしては退屈かもしれないけど、現実としては問題は起きない方がいいさ。それに、僕はみちるがいればそれだけで退屈じゃなくなるんだ。みちるが傍にいないことの方が退屈だよ」 彼女と少しだけ距離を空け、ケーキの最後の一切れに手を伸ばす。けれど、それは僕の口に入る前に横取りされてしまった。 「あ」 思いがけない彼女の行動に、思わず声が漏れる。 「私も。貴女といると退屈しないわ」 一瞬淋しそうな表情になっていたのかもしれない。彼女はクスクスと微笑いながら、また作ってあげるわよ、と僕に甘いキスをした。 |
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