「……お前はっ」
「火野さん。……火野、レイさんはいるかな?」

「……はるかさん」
 学校から帰ってきたところなのだろう。境内から出てきた彼女は制服姿だった。訪問者が僕であることに驚いたようだが、それはすぐに険しい視線へと変わった。
「何か、ご用ですか?うさぎはここにはいませんけど」
「今日は君に用事があってきたんだ」
「……ほたるちゃんのことで、ですか?」
「そう。出来ることなら君から説得してもらいたくてね。僕らが幾ら言っても無駄なようだから」
「私がうさぎ達を説得すると思ってるんですか?」
「思うね。……君は、世界の沈黙を知っている。そうだろう?」
 せつなから聞いた。彼女はシャーマンの血を引く者であり、第六感はみちる並に優れていると。そして、世界の沈黙を夢で見ている、と。
「どうして、それを……」
「せつなから聞いた。……君なら、分かるだろう?あの未来の恐ろしさが。成す術もなく、目の前で死んで行く人々。ひび割れ崩壊していく行く建物。その後に残るのは、静寂。星の、沈黙だ」
 もっとも、その静寂を僕たちは実際に見ることは出来ないが。
 それでも、目の前で人々が死んで行く様を思い浮かべるだけでも。言葉では表せないほどの恐怖に襲われる。自分の無力さに、夢(ヴィジョン)とはいえ叫び出したくなる。あんな思いは、ごめんだ。
「だからって、ほたるちゃんを死なせるなんてこと……。私たちが見ているのは予知夢ですよ。あくまでも夢。可能性の一つなんですよ?」
「だが、それは確率の高いものだ。今のままでは。……手を貸せとは言わない。ただ、この件から手を引いてくれればいい。あとは僕たちが解決する。君たちに責任は及ばない」
「責任とかっ、そういう問題じゃないんです。はるかさんたちが強いのは分かります。けど、絶対、間違ってます。そんな。誰かの犠牲の上に成り立つ倖せなんて……」
「じゃあ犬死しろというのか?君はそれでも構わないのか?たった一人のために全員が死ぬんだぞ?勿論、その一人も、だ」
 上がる息に、少し大人げないと思った。だがこれくらい言わないと、彼女達の甘い考えは変えられない。
「……もし、土萌ほたるが君たちの言うように良い子なのだとしたら。そう、きっと喜んでその身を捧げるだろう。自分の命一つで世界を、何十億もの人々を救えるんだからな」
「そんな……」
「少なくとも、僕ならそうする」
 実際に、そうしたはずだった。だがタリスマンは結局命までは奪わなかった。僕の命では、世界は救えない。だから僕は手を穢(よご)していくしかない。
 見えない血に染まった手を強く握りしめ、黙ったままの彼女を見る。僕を見つめる彼女の唇は硬く結ばれ、その目からは今にも雫が溢れだしそうだ。
 もう一押しだ。そう思うのに、言葉が出てこない。充血していく彼女の目は、いつかの船上で誰かが本音を吐露したときの表情に重なった。
 駄目だな、こうなってしまっては。内心で溜息を吐く。焦りや憤りが引いていくのが分かる。感情に左右されやすい。僕の欠点だ。
 感情、じゃないな。みちるに、だ。
「すまない。君を責めているわけじゃないんだ。言っただろ、君たちに責任はないと。もっとも、僕たちの邪魔をして土萌ほたるを生かすというのなら、そんなことは言ってられないが」
 一歩踏み出すと、彼女の体が震えた。怖がらせるような言い方をしたのだから当然だろうとは思うのだが、幾らかの罪悪感は残る。
 仕方ない、な。
「今まで、よく頑張ったな」
 手を伸ばし、彼女の頭を抱き寄せる。
「一人であんな夢。……怖かっただろ?」
 抵抗はされなかったが、彼女の肩は震え出していた。嗚咽が聞こえ、シャツが湿っていくのが分かる。
「一人で抱えるにはあれは重過ぎる。僕はみちると出会ったから救われたけど。君は。……仲間がいるのに、あえて一人で抱え込んだ。本当はすぐにでも打ち明けたかったんだろ?でもそれをしなかった。優し過ぎるんだ、君は」
「……はるかさん。私っ」
 顔を上げた彼女の両肩を掴み、少し距離を置いて真っ直ぐに見つめる。涙に濡れたその顔に、出来る限りの優しい笑みを、僕は作った。
「だから、もういいんだ。君が苦しむことはない。その苦しみを、僕たちに預けてくれ。君は一人じゃないんだ。僕たちがいる。だから、もうあの夢は忘れて、今まで通りの日常を過ごすんだ」
 暗示をかけるように。出来るだけ、ゆっくりと優しく、語りかける。僕を見つめる彼女の目から、徐々にではあるが意志が消えてゆく。
 そうだ。そのまま放棄するんだ。僕に甘えたって構わない。そして、お団子たちを説得するんだ。この件から手を引くように。
「はるかさん、私。私、本当は――」
 震える彼女の手が伸び、縋るように僕のシャツを掴む。
 落ちた。
 そう思った。だから僕も、両肩を掴んだ手に力を入れ、引き寄せようと……。
 だが。
「レイさんっ。泣いて……。お前っ、レイさんに何をした!」
「雄一郎?」
「ちっ……」
 箒を持って殴りかかってきた彼を避けるために、彼女から離れてしまう。それをいいことに、彼は自分の背に彼女を隠すと箒を構え直した。
「女性だと分かっても、レイさんを泣かせる奴は許さないぞ。さぁ、こいっ!」
 一度僕に喧嘩をふっかけてきて自滅した経験を持つ彼は、腰が引けてはいたが、その目は真剣そのものだった。
「雄一郎……」
 彼女の手が後ろから伸び、彼の肩を掴む。
 失敗だな。場所を変えなかった僕のミスだ。仕方がない。
「帰るよ。邪魔したね」
 気持ちを切り替えるために大袈裟な溜息を吐くと、僕は踵を返した。だが数歩も行かないうちに、もう一声かけるべきだと思い、足を止めて振り返った。
「忘れるな。君は一人じゃない。君が背負う必要はないんだ。後は僕たちに任せてくれ。……じゃあ」
 向き直り、再び歩き出す。後ろから彼の罵声が聞こえたけど、もう振り返る気はなかった。

「……まいったな」
 成果を上げられなかったんじゃ、ただの浮気だ。みちるになんと言って謝ろうか。
 世界の危機を連想させるような淀んだ空を見上げながら、僕の頭はもう、そんなことを考えてはいなくて。
 本当に、みちるに左右されやすいな、僕は。
 改めてそう思っては、不謹慎だとは知りながらも、思わず笑ってしまった。


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